煤u木+内」、第3水準1−85−54]方鑿《えんぜいほうさく》の感に打たれただろう。幸《さいわい》にして親方はさほど偉大な豪傑ではなかった。いくら江戸っ子でも、どれほどたんかを切っても、この渾然《こんぜん》として駘蕩《たいとう》たる天地の大気象には叶《かな》わない。満腹の饒舌《にょうぜつ》を弄《ろう》して、あくまでこの調子を破ろうとする親方は、早く一微塵《いちみじん》となって、怡々《いい》たる春光《しゅんこう》の裏《うち》に浮遊している。矛盾とは、力において、量において、もしくは意気|体躯《たいく》において氷炭相容《ひょうたんあいい》るる能《あた》わずして、しかも同程度に位する物もしくは人の間に在《あ》って始めて、見出し得べき現象である。両者の間隔がはなはだしく懸絶するときは、この矛盾はようやく※[#「さんずい+斯」、第3水準1−87−16]※[#「壟」の「土」に代えて「石」、第3水準1−89−17]磨《しじんろうま》して、かえって大勢力の一部となって活動するに至るかも知れぬ。大人《たいじん》の手足《しゅそく》となって才子が活動し、才子の股肱《ここう》となって昧者《まいしゃ》が活動し、昧者の心腹《しんぷく》となって牛馬が活動し得るのはこれがためである。今わが親方は限りなき春の景色を背景として、一種の滑稽《こっけい》を演じている。長閑《のどか》な春の感じを壊《こわ》すべきはずの彼は、かえって長閑な春の感じを刻意に添えつつある。余は思わず弥生半《やよいなか》ばに呑気《のんき》な弥次《やじ》と近づきになったような気持ちになった。この極《きわ》めて安価なる気※[#「(諂−言)+炎」、第3水準1−87−64]家《きえんか》は、太平の象《しょう》を具したる春の日にもっとも調和せる一彩色である。
こう考えると、この親方もなかなか画《え》にも、詩にもなる男だから、とうに帰るべきところを、わざと尻《しり》を据《す》えて四方八方《よもやま》の話をしていた。ところへ暖簾《のれん》を滑《すべ》って小さな坊主頭が
「御免、一つ剃《そ》って貰おうか」
と這入《はい》って来る。白木綿の着物に同じ丸絎《まるぐけ》の帯をしめて、上から蚊帳《かや》のように粗《あら》い法衣《ころも》を羽織って、すこぶる気楽に見える小坊主であった。
「了念《りょうねん》さん。どうだい、こないだあ道草あ、食って、和尚《お
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