。ちょっと涙をこぼす。この涙を十七字にする。するや否《いな》やうれしくなる。涙を十七字に纏《まと》めた時には、苦しみの涙は自分から遊離《ゆうり》して、おれは泣く事の出来る男だと云う嬉《うれ》しさだけの自分になる。
 これが平生《へいぜい》から余の主張である。今夜も一つこの主張を実行して見ようと、夜具の中で例の事件を色々と句に仕立てる。出来たら書きつけないと散漫《さんまん》になっていかぬと、念入りの修業だから、例の写生帖をあけて枕元へ置く。
「海棠《かいだう》の露をふるふや物狂《ものぐる》ひ」と真先《まっさき》に書き付けて読んで見ると、別に面白くもないが、さりとて気味のわるい事もない。次に「花の影、女の影の朧《おぼろ》かな」とやったが、これは季が重《かさ》なっている。しかし何でも構わない、気が落ちついて呑気《のんき》になればいい。それから「正一位《しやういちゐ》、女に化《ば》けて朧月《おぼろづき》」と作ったが、狂句めいて、自分ながらおかしくなった。
 この調子なら大丈夫と乗気《のりき》になって出るだけの句をみなかき付ける。
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春の星を落して夜半《よは》のかざしかな
春の夜の雲に濡らすや洗ひ髪
春や今宵《こよひ》歌つかまつる御姿
海棠《かいだう》の精が出てくる月夜かな
うた折々月下の春ををちこちす
思ひ切つて更け行く春の独りかな
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などと、試みているうち、いつしか、うとうと眠くなる。
 恍惚《こうこつ》と云うのが、こんな場合に用いるべき形容詞かと思う。熟睡のうちには何人《なんびと》も我を認め得ぬ。明覚《めいかく》の際には誰《たれ》あって外界《がいかい》を忘るるものはなかろう。ただ両域の間に縷《る》のごとき幻境が横《よこた》わる。醒《さ》めたりと云うには余り朧《おぼろ》にて、眠ると評せんには少しく生気《せいき》を剰《あま》す。起臥《きが》の二界を同瓶裏《どうへいり》に盛りて、詩歌《しいか》の彩管《さいかん》をもって、ひたすらに攪《か》き雑《ま》ぜたるがごとき状態を云うのである。自然の色を夢の手前《てまえ》までぼかして、ありのままの宇宙を一段、霞《かすみ》の国へ押し流す。睡魔の妖腕《ようわん》をかりて、ありとある実相の角度を滑《なめら》かにすると共に、かく和《やわ》らげられたる乾坤《けんこん》に、われからと微《かす》かに鈍《にぶ
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