取り残されていた。
 婆さんは袖無《そでな》しの上から、襷《たすき》をかけて、竈《へっつい》の前へうずくまる。余は懐《ふところ》から写生帖を取り出して、婆さんの横顔を写しながら、話しをしかける。
「閑静でいいね」
「へえ、御覧の通りの山里《やまざと》で」
「鶯《うぐいす》は鳴くかね」
「ええ毎日のように鳴きます。此辺《ここら》は夏も鳴きます」
「聞きたいな。ちっとも聞えないとなお聞きたい」
「あいにく今日《きょう》は――先刻《さっき》の雨でどこぞへ逃げました」
 折りから、竈のうちが、ぱちぱちと鳴って、赤い火が颯《さっ》と風を起して一尺あまり吹き出す。
「さあ、御《お》あたり。さぞ御寒かろ」と云う。軒端《のきば》を見ると青い煙りが、突き当って崩《くず》れながらに、微《かす》かな痕《あと》をまだ板庇《いたびさし》にからんでいる。
「ああ、好《い》い心持ちだ、御蔭《おかげ》で生き返った」
「いい具合に雨も晴れました。そら天狗巌《てんぐいわ》が見え出しました」
 逡巡《しゅんじゅん》として曇り勝ちなる春の空を、もどかしとばかりに吹き払う山嵐の、思い切りよく通り抜けた前山《ぜんざん》の一角《いっかく》は、未練もなく晴れ尽して、老嫗《ろうう》の指さす方《かた》に※[#「山/贊」、第4水準2−8−72]※[#「山+元」、第3水準1−47−69]《さんがん》と、あら削《けず》りの柱のごとく聳《そび》えるのが天狗岩だそうだ。
 余はまず天狗巌を眺《なが》めて、次に婆さんを眺めて、三度目には半々《はんはん》に両方を見比《みくら》べた。画家として余が頭のなかに存在する婆さんの顔は高砂《たかさご》の媼《ばば》と、蘆雪《ろせつ》のかいた山姥《やまうば》のみである。蘆雪の図を見たとき、理想の婆さんは物凄《ものすご》いものだと感じた。紅葉《もみじ》のなかか、寒い月の下に置くべきものと考えた。宝生《ほうしょう》の別会能《べつかいのう》を観るに及んで、なるほど老女にもこんな優しい表情があり得るものかと驚ろいた。あの面《めん》は定めて名人の刻んだものだろう。惜しい事に作者の名は聞き落したが、老人もこうあらわせば、豊かに、穏《おだ》やかに、あたたかに見える。金屏《きんびょう》にも、春風《はるかぜ》にも、あるは桜にもあしらって差《さ》し支《つかえ》ない道具である。余は天狗岩よりは、腰をのして、手を翳《か
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