A画《え》なきもの、芸術のたしなみなきものよりは、美くしき所作が出来る。人情世界にあって、美くしき所作は正である、義である、直である。正と義と直を行為の上において示すものは天下の公民の模範である。
 しばらく人情界を離れたる余は、少なくともこの旅中《りょちゅう》に人情界に帰る必要はない。あってはせっかくの旅が無駄になる。人情世界から、じゃりじゃりする砂をふるって、底にあまる、うつくしい金《きん》のみを眺めて暮さなければならぬ。余|自《みずか》らも社会の一員をもって任じてはおらぬ。純粋なる専門画家として、己《おの》れさえ、纏綿《てんめん》たる利害の累索《るいさく》を絶って、優《ゆう》に画布裏《がふり》に往来している。いわんや山をや水をや他人をや。那美さんの行為動作といえどもただそのままの姿と見るよりほかに致し方がない。
 三丁ほど上《のぼ》ると、向うに白壁の一構《ひとかまえ》が見える。蜜柑《みかん》のなかの住居《すまい》だなと思う。道は間もなく二筋に切れる。白壁を横に見て左りへ折れる時、振り返ったら、下から赤い腰巻《こしまき》をした娘が上《あが》ってくる。腰巻がしだいに尽きて、下から茶色の脛《はぎ》が出る。脛が出切《でき》ったら、藁草履《わらぞうり》になって、その藁草履がだんだん動いて来る。頭の上に山桜が落ちかかる。背中には光る海を負《しょっ》ている。
 岨道《そばみち》を登り切ると、山の出鼻《でばな》の平《たいら》な所へ出た。北側は翠《みど》りを畳《たた》む春の峰で、今朝|椽《えん》から仰いだあたりかも知れない。南側には焼野とも云うべき地勢が幅半丁ほど広がって、末は崩《くず》れた崖《がけ》となる。崖の下は今過ぎた蜜柑山で、村を跨《また》いで向《むこう》を見れば、眼に入るものは言わずも知れた青海《あおうみ》である。
 路《みち》は幾筋もあるが、合うては別れ、別れては合うから、どれが本筋とも認められぬ。どれも路である代りに、どれも路でない。草のなかに、黒赤い地が、見えたり隠れたりして、どの筋につながるか見分《みわけ》のつかぬところに変化があって面白い。
 どこへ腰を据《す》えたものかと、草のなかを遠近《おちこち》と徘徊《はいかい》する。椽《えん》から見たときは画《え》になると思った景色も、いざとなると存外|纏《まと》まらない。色もしだいに変ってくる。草原をのそつくうちに
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