ツいても満は損を招くとの諺《ことわざ》はこれがためである。
 放心《ほうしん》と無邪気とは余裕を示す。余裕は画《え》において、詩において、もしくは文章において、必須《ひっすう》の条件である。今代芸術《きんだいげいじゅつ》の一大|弊竇《へいとう》は、いわゆる文明の潮流が、いたずらに芸術の士を駆って、拘々《くく》として随処に齷齪《あくそく》たらしむるにある。裸体画はその好例であろう。都会に芸妓《げいぎ》と云うものがある。色を売りて、人に媚《こ》びるを商売にしている。彼らは嫖客《ひょうかく》に対する時、わが容姿のいかに相手の瞳子《ひとみ》に映ずるかを顧慮《こりょ》するのほか、何らの表情をも発揮《はっき》し得ぬ。年々に見るサロンの目録はこの芸妓に似たる裸体美人を以て充満している。彼らは一秒時も、わが裸体なるを忘るる能《あた》わざるのみならず、全身の筋肉をむずつかして、わが裸体なるを観者に示さんと力《つと》めている。
 今余が面前に娉※[#「女+亭」、第3水準1−15−85]《ひょうてい》と現われたる姿には、一塵もこの俗埃《ぞくあい》の眼に遮《さえ》ぎるものを帯びておらぬ。常の人の纏《まと》える衣装《いしょう》を脱ぎ捨てたる様《さま》と云えばすでに人界《にんがい》に堕在《だざい》する。始めより着るべき服も、振るべき袖も、あるものと知らざる神代《かみよ》の姿を雲のなかに呼び起したるがごとく自然である。
 室を埋《うず》むる湯煙は、埋めつくしたる後《あと》から、絶えず湧《わ》き上がる。春の夜《よ》の灯《ひ》を半透明に崩《くず》し拡げて、部屋一面の虹霓《にじ》の世界が濃《こまや》かに揺れるなかに、朦朧《もうろう》と、黒きかとも思わるるほどの髪を暈《ぼか》して、真白な姿が雲の底から次第に浮き上がって来る。その輪廓《りんかく》を見よ。
 頸筋《くびすじ》を軽《かろ》く内輪に、双方から責めて、苦もなく肩の方へなだれ落ちた線が、豊かに、丸く折れて、流るる末は五本の指と分《わか》れるのであろう。ふっくらと浮く二つの乳の下には、しばし引く波が、また滑《なめ》らかに盛り返して下腹の張りを安らかに見せる。張る勢《いきおい》を後《うし》ろへ抜いて、勢の尽くるあたりから、分れた肉が平衡を保つために少しく前に傾《かたむ》く。逆《ぎゃく》に受くる膝頭《ひざがしら》のこのたびは、立て直して、長きうねりの踵《
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