の馬鹿々々しと思ふ処ならん、啻《たゞ》に後代の吾々が馬鹿々々しと思ふのみにあらず、当人たる平家の侍共《さむらひども》も翌日は定めて口惜しと思ひつらん、去れども彼等は富士川に宿したる晩に限りて、急に揃ひも揃うて臆病風にかゝりたるなり、此臆病風は二十三日の半夜忽然吹き来りて、七万余騎の陣中を馳《か》け廻《めぐ》り、翌くる二十四日の暁天に至りて寂《せき》として息《や》みぬ、誰か此風の行衛《ゆくゑ》を知る者ぞ
 犬に吠《ほ》え付かれて、果《は》てな己は泥棒かしらん、と結論するものは余程の馬鹿者か、非常な狼狽者《あわてもの》と勘定するを得べし、去れども世間には賢者を以て自ら居り、智者を以て人より目せらるゝもの、亦此病にかかることあり、大丈夫と威張るものの最後の場に臆したる、卑怯《ひけふ》の名を博したるものが、急に猛烈の勢を示せる、皆是れ自ら解釈せんと欲して能はざるの現象なり、況《いはん》や他人をや、二点を求め得て之を通過する直線の方向を知るとは幾何学《きかがく》上の事、吾人《ごじん》の行為は二点を知り三点を知り、重ねて百点に至るとも、人生の方向を定むるに足らず、人生は一個の理窟に纏《まと》め得るものにあらずして、小説は一個の理窟を暗示するに過ぎざる以上は、「サイン」「コサイン」を使用して三角形の高さを測ると一般なり、吾人の心中には底なき三角形あり、二辺並行せる三角形あるを奈何《いかん》せん、若《も》し人生が数学的に説明し得るならば、若し与へられたる材料よりXなる人生が発見せらるゝならば、若し人間が人間の主宰たるを得るならば、若し詩人文人小説家が記載せる人生の外に人生なくんば、人生は余程便利にして、人間は余程えらきものなり、不測の変外界に起り、思ひがけぬ心は心の底より出で来る、容赦なく且《かつ》乱暴に出で来る、海嘯と震災は、啻《たゞ》に三陸と濃尾に起るのみにあらず、亦自家三寸の丹田《たんでん》中にあり、険呑《けんのん》なる哉《かな》
[#地から2字上げ](明治二十九年十月、第五高等学校『竜南会雑誌』)



底本:「現代日本文學大系17 夏目漱石集(一)」筑摩書房
   1968(昭和43)年10月25日
入力:柿澤早苗
校正:伊藤時也
2000年2月4日公開
2004年2月27日修正
青空文庫作成ファイル:
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