ートを大略話してやる。彼奴《あいつ》の事だからええ加減に聞いて、ろくに分っていない癖《くせ》に、よしよし分ったなどと言って生呑込《なまのみこみ》にしてしまう。其時分は常盤会《ときわかい》寄宿舎に居たものだから、時刻になると食堂で飯を食う。或時又来て呉れという。僕が其時返辞をして、行ってもええけれど又|鮭《さけ》で飯を食わせるから厭《いや》だといった。其時は大に御馳走《ごちそう》をした。鮭を止めて近処の西洋料理屋か何かへ連れて行った。
或日突然手紙をよこし、大宮の公園の中の万松庵に居るからすぐ来いという。行った。ところがなかなか綺麗《きれい》なうちで、大将奥座敷に陣取って威張っている。そうして其処《そこ》で鶉《うずら》か何かの焼いたのなどを食わせた。僕は其形勢を見て、正岡は金がある男と思っていた。処が実際はそうでは無かった。身代を皆食いつぶしていたのだ。其後熊本に居る時分、東京へ出て来た時、神田川へ飄亭《ひょうてい》と三人で行った事もあった。これはまだ正岡の足の立っていた時分だ。
正岡の食意地の張った話というのは、もうこれ位ほか思い出せぬ。あの駒込追分奥井の邸内に居った時分は、一軒|別棟《べつむね》の家を借りていたので、下宿から飯を取寄せて食っていた。あの時分は『月の都』という小説を書いていて、大に得意で見せる。其時分は冬だった。大将|雪隠《せっちん》へ這入《はい》るのに火鉢《ひばち》を持って這入る。雪隠へ火鉢を持って行ったとて当る事が出来ないじゃないかというと、いや当り前にするときん[#「きん」に傍点]隠しが邪魔になっていかぬから、後ろ向きになって前に火鉢を置いて当るのじゃという。それで其火鉢で牛肉をじゃあじゃあ煮て食うのだからたまらない。それから其『月の都』を露伴に見せたら、眉山《びざん》、漣《さざなみ》の比で無いと露伴もいったとか言って、自分も非常にえらいもののようにいうものだから、其時分何も分らなかった僕も、えらいもののように思っていた。あの時分から正岡には何時《いつ》もごまかされていた。発句も近来|漸《ようや》く悟ったとかいって、もう恐ろしい者は無いように言っていた。相変らず僕は何も分らないのだから、小説同様えらいのだろうと思っていた。それから頻《しき》りに僕に発句を作れと強《し》いる。其家の向うに笹藪《ささやぶ》がある。あれを句にするのだ、ええかとか何
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