に行かないので、気の狭い私は寝ながら大変苦しみ出した。そうしてしまいに大きな声を揚《あ》げて下にいる母を呼んだのである。
 二階の梯子段《はしごだん》は、母の大眼鏡と離す事のできない、生死事大《しょうじじだい》無常迅速《むじょうじんそく》云々と書いた石摺《いしずり》の張交《はりまぜ》にしてある襖《ふすま》の、すぐ後《うしろ》についているので、母は私の声を聞きつけると、すぐ二階へ上って来てくれた。私はそこに立って私を眺めている母に、私の苦しみを話して、どうかして下さいと頼んだ。母はその時微笑しながら、「心配しないでも好いよ。御母《おっか》さんがいくらでも御金を出して上げるから」と云ってくれた。私は大変|嬉《うれ》しかった。それで安心してまたすやすや寝てしまった。
 私はこの出来事が、全部夢なのか、または半分だけ本当なのか、今でも疑っている。しかしどうしても私は実際大きな声を出して母に救を求め、母はまた実際の姿を現わして私に慰藉《いしゃ》の言葉を与えてくれたとしか考えられない。そうしてその時の母の服装《なり》は、いつも私の眼に映る通り、やはり紺無地《こんむじ》の絽《ろ》の帷子《かたびら》に幅の狭い黒繻子《くろじゅす》の帯だったのである。

        三十九

 今日は日曜なので、小供が学校へ行かないから、下女も気を許したものと見えて、いつもより遅く起きたようである。それでも私の床を離れたのは七時十五分過であった。顔を洗ってから、例の通り焼麺麭《トースト》と牛乳と半熟の鶏卵《たまご》を食べて、厠《かわや》に上《のぼ》ろうとすると、あいにく肥取《こいとり》が来ているので、私はしばらく出た事のない裏庭の方へ歩を移した。すると植木屋が物置の中で何か片づけものをしていた。不要の炭俵を重ねた下から威勢の好い火が燃えあがる周囲に、女の子が三人ばかり心持よさそうに煖を取っている様子が私の注意を惹《ひ》いた。
「そんなに焚火《たきび》に当ると顔が真黒になるよ」と云ったら、末の子が、「いやあーだ」と答えた。私は石垣の上から遠くに見える屋根瓦《やねがわら》の融《と》けつくした霜《しも》に濡《ぬ》れて、朝日にきらつく色を眺めたあと、また家《うち》の中へ引き返した。
 親類の子が来て掃除《そうじ》をしている書斎の整頓するのを待って、私は机を縁側《えんがわ》に持ち出した。そこで日当りの好い欄干《らんかん》に身を靠《も》たせたり、頬杖《ほおづえ》を突いて考えたり、またしばらくはじっと動かずにただ魂を自由に遊ばせておいてみたりした。
 軽い風が時々|鉢植《はちうえ》の九花蘭《きゅうからん》の長い葉を動かしにきた。庭木の中で鶯《うぐいす》が折々下手な囀《さえず》りを聴かせた。毎日|硝子戸《ガラスど》の中に坐《すわ》っていた私は、まだ冬だ冬だと思っているうちに、春はいつしか私の心を蕩揺《とうよう》し始めたのである。
 私の冥想《めいそう》はいつまで坐っていても結晶しなかった。筆をとって書こうとすれば、書く種は無尽蔵にあるような心持もするし、あれにしようか、これにしようかと迷い出すと、もう何を書いてもつまらないのだという呑気《のんき》な考も起ってきた。しばらくそこで佇《たた》ずんでいるうちに、今度は今まで書いた事が全く無意味のように思われ出した。なぜあんなものを書いたのだろうという矛盾が私を嘲弄《ちょうろう》し始めた。ありがたい事に私の神経は静まっていた。この嘲弄の上に乗ってふわふわと高い冥想《めいそう》の領分に上《のぼ》って行くのが自分には大変な愉快になった。自分の馬鹿な性質を、雲の上から見下《みおろ》して笑いたくなった私は、自分で自分を軽蔑《けいべつ》する気分に揺られながら、揺籃《ようらん》の中で眠《ねむ》る小供に過ぎなかった。
 私は今まで他《ひと》の事と私の事をごちゃごちゃに書いた。他の事を書くときには、なるべく相手の迷惑にならないようにとの掛念《けねん》があった。私の身の上を語る時分には、かえって比較的自由な空気の中に呼吸する事ができた。それでも私はまだ私に対して全く色気を取り除き得る程度に達していなかった。嘘《うそ》を吐《つ》いて世間を欺《あざむ》くほどの衒気《げんき》がないにしても、もっと卑《いや》しい所、もっと悪い所、もっと面目を失するような自分の欠点を、つい発表しずにしまった。聖オーガスチンの懺悔《ざんげ》、ルソーの懺悔、オピアムイーターの懺悔、――それをいくら辿《たど》って行っても、本当の事実は人間の力で叙述できるはずがないと誰かが云った事がある。まして私の書いたものは懺悔ではない。私の罪は、――もしそれを罪と云い得るならば、――すこぶる明るいところからばかり写されていただろう。そこに或人は一種の不快を感ずるかも知れない。しかし私自身は今その不快の上に跨《また》がって、一般の人類をひろく見渡しながら微笑しているのである。今までつまらない事を書いた自分をも、同じ眼で見渡して、あたかもそれが他人であったかの感を抱《いだ》きつつ、やはり微笑しているのである。
 まだ鶯《うぐいす》が庭で時々鳴く。春風が折々思い出したように九花蘭《きゅうからん》の葉を揺《うご》かしに来る。猫がどこかで痛《いた》く噛《か》まれた米噛《こめかみ》を日に曝《さら》して、あたたかそうに眠っている。先刻《さっき》まで庭で護謨風船《ゴムふうせん》を揚《あ》げて騒いでいた小供達は、みんな連れ立って活動写真へ行ってしまった。家も心もひっそりとしたうちに、私は硝子戸《ガラスど》を開け放って、静かな春の光に包まれながら、恍惚《うっとり》とこの稿を書き終るのである。そうした後で、私はちょっと肱《ひじ》を曲げて、この縁側《えんがわ》に一眠り眠るつもりである。
[#地から1字上げ](二月十四日)



底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房
   1988(昭和63)年7月26日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年4月〜1972(昭和47)年1月
入力:柴田卓治
校正:大野晋
1999年8月22日公開
2004年2月26日修正
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