取り合わなかった。彼が私を庭の木立《こだち》の前に立たして、レンズを私の方へ向けた時もまた前と同じような鄭寧《ていねい》な調子で、「御約束ではございますが、少しどうか……」と同じ言葉を繰《く》り返《かえ》した。私は前よりもなお笑う気になれなかった。
 それから四日ばかり経《た》つと、彼は郵便で私の写真を届けてくれた。しかしその写真はまさしく彼の注文通りに笑っていたのである。その時私は中《あて》が外《はず》れた人のように、しばらく自分の顔を見つめていた。私にはそれがどうしても手を入れて笑っているように拵《こしら》えたものとしか見えなかったからである。
 私は念のため家《うち》へ来る四五人のものにその写真を出して見せた。彼らはみんな私と同様に、どうも作って笑わせたものらしいという鑑定を下《くだ》した。
 私は生れてから今日《こんにち》までに、人の前で笑いたくもないのに笑って見せた経験が何度となくある。その偽《いつわ》りが今この写真師のために復讐《ふくしゅう》を受けたのかも知れない。
 彼は気味のよくない苦笑を洩《も》らしている私の写真を送ってくれたけれども、その写真を載せると云った雑誌はつ
前へ 次へ
全126ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング