、私はかえって羨《うらや》ましく思っている。

        三十一

 私がまだ小学校に行っていた時分に、喜《き》いちゃんという仲の好い友達があった。喜いちゃんは当時|中町《なかちょう》の叔父さんの宅《うち》にいたので、そう道程《みちのり》の近くない私の所からは、毎日会いに行く事が出来|悪《にく》かった。私はおもに自分の方から出かけないで、喜いちゃんの来るのを宅で待っていた。喜いちゃんはいくら私が行かないでも、きっと向うから来るにきまっていた。そうしてその来る所は、私の家の長屋を借りて、紙や筆を売る松さんの許《もと》であった。
 喜いちゃんには父母《ちちはは》がないようだったが、小供の私には、それがいっこう不思議とも思われなかった。おそらく訊《き》いて見た事もなかったろう。したがって喜いちゃんがなぜ松さんの所へ来るのか、その訳さえも知らずにいた。これはずっと後で聞いた話であるが、この喜いちゃんの御父《おとっ》さんというのは、昔《むか》し銀座の役人か何かをしていた時、贋金《にせがね》を造ったとかいう嫌疑《けんぎ》を受けて、入牢《じゅうろう》したまま死んでしまったのだという。それであとに取り残された細君が、喜いちゃんを先夫《せんぷ》の家へ置いたなり、松さんの所へ再縁したのだから、喜いちゃんが時々|生《うみ》の母に会いに来るのは当り前の話であった。
 何にも知らない私は、この事情を聞いた時ですら、別段変な感じも起さなかったくらいだから、喜いちゃんとふざけまわって遊ぶ頃に、彼の境遇などを考えた事はただの一度もなかった。
 喜いちゃんも私も漢学が好きだったので、解りもしない癖《くせ》に、よく文章の議論などをして面白がった。彼はどこから聴いてくるのか、調べてくるのか、よくむずかしい漢籍の名前などを挙《あ》げて、私を驚ろかす事が多かった。
 彼はある日私の部屋同様になっている玄関に上り込んで、懐《ふところ》から二冊つづきの書物を出して見せた。それは確《たしか》に写本であった。しかも漢文で綴《つづ》ってあったように思う。私は喜いちゃんから、その書物を受け取って、無意味にそこここを引《ひ》っ繰返《くりかえ》して見ていた。実は何が何だか私にはさっぱり解らなかったのである。しかし喜いちゃんは、それを知ってるかなどと露骨な事をいう性質《たち》ではなかった。
「これは太田南畝《おおたなん
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