干《らんかん》に身を靠《も》たせたり、頬杖《ほおづえ》を突いて考えたり、またしばらくはじっと動かずにただ魂を自由に遊ばせておいてみたりした。
 軽い風が時々|鉢植《はちうえ》の九花蘭《きゅうからん》の長い葉を動かしにきた。庭木の中で鶯《うぐいす》が折々下手な囀《さえず》りを聴かせた。毎日|硝子戸《ガラスど》の中に坐《すわ》っていた私は、まだ冬だ冬だと思っているうちに、春はいつしか私の心を蕩揺《とうよう》し始めたのである。
 私の冥想《めいそう》はいつまで坐っていても結晶しなかった。筆をとって書こうとすれば、書く種は無尽蔵にあるような心持もするし、あれにしようか、これにしようかと迷い出すと、もう何を書いてもつまらないのだという呑気《のんき》な考も起ってきた。しばらくそこで佇《たた》ずんでいるうちに、今度は今まで書いた事が全く無意味のように思われ出した。なぜあんなものを書いたのだろうという矛盾が私を嘲弄《ちょうろう》し始めた。ありがたい事に私の神経は静まっていた。この嘲弄の上に乗ってふわふわと高い冥想《めいそう》の領分に上《のぼ》って行くのが自分には大変な愉快になった。自分の馬鹿な性質を、雲の上から見下《みおろ》して笑いたくなった私は、自分で自分を軽蔑《けいべつ》する気分に揺られながら、揺籃《ようらん》の中で眠《ねむ》る小供に過ぎなかった。
 私は今まで他《ひと》の事と私の事をごちゃごちゃに書いた。他の事を書くときには、なるべく相手の迷惑にならないようにとの掛念《けねん》があった。私の身の上を語る時分には、かえって比較的自由な空気の中に呼吸する事ができた。それでも私はまだ私に対して全く色気を取り除き得る程度に達していなかった。嘘《うそ》を吐《つ》いて世間を欺《あざむ》くほどの衒気《げんき》がないにしても、もっと卑《いや》しい所、もっと悪い所、もっと面目を失するような自分の欠点を、つい発表しずにしまった。聖オーガスチンの懺悔《ざんげ》、ルソーの懺悔、オピアムイーターの懺悔、――それをいくら辿《たど》って行っても、本当の事実は人間の力で叙述できるはずがないと誰かが云った事がある。まして私の書いたものは懺悔ではない。私の罪は、――もしそれを罪と云い得るならば、――すこぶる明るいところからばかり写されていただろう。そこに或人は一種の不快を感ずるかも知れない。しかし私自身は今その
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