ものは、広いようで、その実《じつ》はなはだ狭い。ある社会の一部分で、何度となく繰り返された経験を、他の一部分へ持って行くと、まるで通用しない事が多い。前後の関係とか四囲の状況とか云ったところで、千差万別なのだから、その応用の区域が限られているばかりか、その実千差万別に思慮を廻《めぐ》らさなければ役に立たなくなる。しかもそれを廻らす時間も、材料も充分給与されていない場合が多い。
それで私はともすると事実あるのだか、またないのだか解らない、極《きわ》めてあやふやな自分の直覚というものを主位に置いて、他を判断したくなる。そうして私の直覚がはたして当ったか当らないか、要するに客観的事実によって、それを確《たしか》める機会をもたない事が多い。そこにまた私の疑いが始終《しじゅう》靄《もや》のようにかかって、私の心を苦しめている。
もし世の中に全知全能《ぜんちぜんのう》の神があるならば、私はその神の前に跪《ひざま》ずいて、私に毫髪《ごうはつ》の疑《うたがい》を挟《さしはさ》む余地もないほど明らかな直覚を与えて、私をこの苦悶《くもん》から解脱《げだつ》せしめん事を祈る。でなければ、この不明な私の前に出て来るすべての人を、玲瓏透徹《れいろうとうてつ》な正直ものに変化して、私とその人との魂がぴたりと合うような幸福を授けたまわん事を祈る。今の私は馬鹿で人に騙《だま》されるか、あるいは疑い深くて人を容《い》れる事ができないか、この両方だけしかないような気がする。不安で、不透明で、不愉快に充《み》ちている。もしそれが生涯《しょうがい》つづくとするならば、人間とはどんなに不幸なものだろう。
三十四
私が大学にいる頃教えたある文学士が来て、「先生はこの間高等工業で講演をなすったそうですね」というから、「ああやった」と答えると、その男が「何でも解らなかったようですよ」と教えてくれた。
それまで自分の云った事について、その方面の掛念《けねん》をまるでもっていなかった私は、彼の言葉を聞くとひとしく、意外の感に打たれた。
「君はどうしてそんな事を知ってるの」
この疑問に対する彼の説明は簡単であった。親戚だか知人だか知らないが、何しろ彼に関係のある或|家《うち》の青年が、その学校に通っていて、当日私の講演を聴いた結果を、何だか解らないという言葉で彼に告げたのである。
「いった
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