積んであった。木槿《むくげ》かと思われる真白な花もここかしこに見られた。
やがて車夫が梶棒《かじぼう》を下《おろ》した。暗い幌の中を出ると、高い石段の上に萱葺《かやぶき》の山門が見えた。Oは石段を上《のぼ》る前に、門前の稲田《いなだ》の縁《ふち》に立って小便をした。自分も用心のため、すぐ彼の傍へ行って顰《ひん》に倣《なら》った。それから三人前後して濡れた石を踏《ふ》みながら典座寮《てんぞりょう》と書いた懸札《かけふだ》の眼につく庫裡《くり》から案内を乞《こ》うて座敷へ上った。
老師に会うのは約二十年ぶりである。東京からわざわざ会いに来た自分には、老師の顔を見るや否や、席に着かぬ前から、すぐそれと解ったが先方では自分を全く忘れていた。私はと云って挨拶《あいさつ》をした時老師はいやまるで御見逸《おみそ》れ申しましたと、改めて久濶《きゅうかつ》を叙したあとで、久しい事になりますな、もうかれこれ二十年になりますからなどと云った。けれどもその二十年後の今、自分の眼の前に現れた小作《こづく》りな老師は、二十年前と大して変ってはいなかった。ただ心持色が白くなったのと、年のせいか顔にどこか愛嬌《あいきょう》がついたのが自分の予期と少し異《こと》なるだけで、他は昔のままのS禅師であった。
「私ももう直《じき》五十二になります」
自分は老師のこの言葉を聞いた時、なるほど若く見えるはずだと合点《がてん》が行った。実をいうと今まで腹の中では老師の年歯《とし》を六十ぐらいに勘定《かんじょう》していた。しかし今ようやく五十一二とすると、昔自分が相見《しょうけん》の礼を執《と》った頃はまだ三十を超《こ》えたばかりの壮年だったのである。それでも老師は知識であった。知識であったから、自分の眼には比較的|老《ふ》けて見えたのだろう。
いっしょに連れて行った二人を老師に引き合せて、巡錫《じゅんしゃく》の打ち合せなどを済ました後《あと》、しばらく雑談をしているうちに、老師から縁切寺《えんきりでら》の由来《ゆらい》やら、時頼夫人の開基《かいき》の事やら、どうしてそんな尼寺へ住むようになった訳やら、いろいろ聞いた。帰る時には玄関まで送ってきて、「今日は二百二十日だそうで……」と云われた。三人はその二百二十日の雨の中を、また切通《きりどお》し越《ごえ》に町の方へ下《くだ》った。
翌朝《あくるあさ》は高
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