や》の廂《ひさし》と、向うの三階の屋根の間に、青い空が見えた。その空が秋の露《つゆ》に洗われつつしだいに高くなる時節であった。余は黙ってこの空を見つめるのを日課のようにした。何事もない、また何物もないこの大空は、その静かな影を傾むけてことごとく余の心に映じた。そうして余の心にも何事もなかった。また何物もなかった。透明な二つのものがぴたりと合った。合って自分に残るのは、縹緲《ひょうびょう》とでも形容してよい気分であった。
そのうち穏かな心の隅《すみ》が、いつか薄く暈《ぼか》されて、そこを照らす意識の色が微《かす》かになった。すると、ヴェイルに似た靄《もや》が軽く全面に向って万遍《まんべん》なく展《の》びて来た。そうして総体の意識がどこもかしこも稀薄《きはく》になった。それは普通の夢のように濃いものではなかった。尋常の自覚のように混雑したものでもなかった。またその中間に横《よこた》わる重い影でもなかった。魂が身体《からだ》を抜けると云ってはすでに語弊がある。霊が細《こま》かい神経の末端にまで行き亘《わた》って、泥でできた肉体の内部を、軽く清くすると共に、官能の実覚から杳《はる》かに遠からしめた状態であった。余は余の周囲に何事が起りつつあるかを自覚した。同時にその自覚が窈窕《ようちょう》として地の臭《におい》を帯びぬ一種特別のものであると云う事を知った。床《ゆか》の下に水が廻って、自然と畳が浮き出すように、余の心は己《おのれ》の宿る身体と共に、蒲団《ふとん》から浮き上がった。より適当に云えば、腰と肩と頭に触れる堅い蒲団がどこかへ行ってしまったのに、心と身体は元の位置に安く漂《ただよ》っていた。発作前《ほっさぜん》に起るドストイェフスキーの歓喜は、瞬刻のために十年もしくは終生の命を賭《と》しても然《しか》るべき性質のものとか聞いている。余のそれはさように強烈のものではなかった。むしろ恍惚《こうこつ》として幽《かす》かな趣《おもむき》を生活面の全部に軽くかつ深く印《いん》し去ったのみであった。したがって余にはドストイェフスキーの受けたような憂欝性《ゆううつせい》の反動が来なかった。余は朝からしばしばこの状態に入《い》った。午過《ひるすぎ》にもよくこの蕩漾《とうよう》を味《あじわ》った。そうして覚《さ》めたときはいつでもその楽しい記憶を抱《いだ》いて幸福の記念としたくらいであ
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