《ぼうじん》からとうてい回復の見込がないように思われた二三日|後《あと》、森成さんが病院の用事だからと云って、ちょっと東京へ帰ったのは、生前に一度院長に会うためで、それから十日ほど経《た》って、また病院の用事ができて二度東京へ戻ったのは院長の葬式に列するためであったそうである。
当初から余に好意を表して、間接に治療上の心配をしてくれた院長はかくのごとくしだいに死に近づきつつある間に、余は不思議にも命の幅《はば》の縮《ちぢ》まってほとんど絹糸のごとく細くなった上を、ようやく無難に通り越した。院長の死が一基の墓標で永く確《たしか》められたとき、辛抱強く骨の上に絡《から》みついていてくれた余の命の根は、辛《かろ》うじて冷たい骨の周囲に、血の通う新しい細胞を営み初めた。院長の墓の前に供えられる花が、幾度《いくたび》か枯れ、幾度か代って、萩、桔梗《ききょう》、女郎花《おみなえし》から白菊と黄菊に秋を進んで来た一カ月|余《よ》の後《のち》、余はまたその一カ月余の間に盛返し得るほどの血潮を皮下に盛得《もりえ》て、再び院長の建てたこの胃腸病院に帰って来た。そうしてその間いまだかつて院長の死んだと云う事を知らなかった。帰る明《あく》る朝|妻《さい》が来て実はこれこれでと話をするまで、院長は余の病気の経過を東京にいて承知しているものと信じていた。そうして回復の上病院を出たら礼にでも行こうと思っていた。もし病院で会えたら篤《あつ》く謝意でも述べようと思っていた。
逝《ゆ》く人に留《とど》まる人に来《きた》る雁《かり》
考えると余が無事に東京まで帰れたのは天幸《てんこう》である。こうなるのが当り前のように思うのは、いまだに生きているからの悪度胸《わるどきょう》に過ぎない。生き延びた自分だけを頭に置かずに、命の綱を踏《ふ》み外《はず》した人の有様も思い浮べて、幸福な自分と照らし合せて見ないと、わがありがたさも分らない、人の気の毒さも分らない。
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ただ一羽|来《く》る夜ありけり月の雁《かり》
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三
ジェームス教授の訃《ふ》に接したのは長与院長の死を耳にした明日《あくるひ》の朝である。新着の外国雑誌を手にして、五六|頁《ページ》繰って行くうちに、ふと教授の名前が眼にとまったので、また新らしい著書でも公《おおや》けにしたの
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