け》と共に崩《くず》れる吾家《わがや》の光景と、茅《ち》が崎《さき》で海に押し流されつつある吾子供らを、夢に見ようとした。雨のしたたか降る前に余は妻《さい》に宛てて手紙を出しておいた。それには好い部屋がないから四五日したら帰ると書いた。また病気が再発して苦《くるし》んでいると云う事はわざと知らせずにおいた。そうしてその手紙も着いたか着かないか分らないくらいに考えて寝ていた。
そこへ電報が来た。それは恐るべき長い時間と労力を費《ついや》して、やっとの事無事に宛名《あてな》の人に通ずるや否や、その宛名の人をして封を切らぬ先に少しはっと思わせた電報であった。しかし中は、今度の水害でこちらは無事だが、そちらはどうかという、見舞と平信《へいしん》をかねたものに過ぎなかった。出した局の名が本郷とあるのを見てこれは草平君《そうへいくん》を煩《わずら》わしたものと知った。
雨はますます降り続いた。余の病気はしだいに悪い方へ傾《かたぶ》いて行った。その時、余は夜の十二時頃長距離電話をかけられて、硬《かた》い胸を抑えながら受信器を耳に着けた。茅ケ崎の子供も無事、東京の家も無事という事だけが微《かす》かに分った。しかしその他は全く不得要領で、ほとんど風と話をするごとくに纏《まと》まらない雑音がぼうぼうと鼓膜に響くのみであった。第一かけた当人がわが妻《さい》であるという事さえ覚《さと》らずにこちらからあなたという敬語を何遍か繰返したくらい漠然《ぼんやり》した電話であった。東京の音信《たより》が雨と風と洪水の中に、悩んでいる余の眼に始めて暸然と映ったのは、坐る暇もないほど忙《いそが》しい思いをした妻が、当時の事情をありのままに認《したた》めた巨細《こさい》の手紙がようやく余の手に落ちた時の事であった。余はその手紙を見て自分の病《やまい》を忘れるほど驚いた。
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病んで夢む天の川より出水《でみず》かな
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十一
妻《さい》の手紙は全部の引用を許さぬほど長いものであった。冒頭に東洋城から余の病気の報知を受けた由と、それがため少からず心を悩ましている旨《むね》を記して、看病に行きたいにも汽車が不通で仕方がないから、せめて電話だけでもと思って、その日の中には通じかねるところを、無理な至急報にして貰《もら》って、夜半《やはん》に山田の
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