んページ》ばかりを埋《うず》めている。
その時の余は印気《インキ》の切れた万年筆《まんねんふで》の端を撮《つま》んで、ペン先へ墨の通うように一二度|揮《ふ》るのがすこぶる苦痛であった。実際健康な人が片手で樫《かし》の六尺棒を振り廻すよりも辛《つら》いくらいであった。それほど衰弱の劇《はげ》しい時にですら、わざわざとこんな道経《どうきょう》めいた文句を写す余裕が心にあったのは、今から考えても真《まこと》に愉快である。子供の時|聖堂《せいどう》の図書館へ通って、徂徠《そらい》の※[#「くさかんむり/(言+爰)」、第3水準1−91−40]園十筆《けんえんじっぴつ》をむやみに写し取った昔を、生涯《しょうがい》にただ一度繰り返し得たような心持が起って来る。昔の余の所作《しょさ》が単に写すという以外には全く無意味であったごとく、病後の余の所作もまたほとんど同様に無意味である。そうしてその無意味なところに、余は一種の価値を見出して喜んでいる。長生《ながいき》の工夫《くふう》のための列仙伝が、長生もしかねまじきほど悠長《ゆうちょう》な心の下《もと》に、病後の余からかく気楽に取扱われたのは、余に取って全くの偶然であり、また再び来《きた》るまじき奇縁である。
仏蘭西《フランス》の老画家アルピニーはもう九十一二の高齢である。それでも人並《ひとなみ》の気力はあると見えて、この間のスチュージオには目醒《めざま》しい木炭画が十種ほど載っていた。国朝六家詩鈔《こくちょうりくかししょう》の初にある沈徳潜《しんとくせん》の序には、乾隆丁亥夏五《けんりゅうていがいかご》長洲《ちょうしゅう》沈徳潜《しんとくせん》書《しょ》す時に年九十有五。とわざわざ断ってある。長生《ながいき》の結構な事は云うまでもない。長生をしてこの二人のように頭がたしかに使えるのはなおさらめでたい。不惑《ふわく》の齢《よわい》を越すと間もなく死のうとして、わずかに助かった余は、これからいつまで生きられるか固《もと》より分らない。思うに一日生きれば一日の結構で、二日生きれば二日の結構であろう。その上頭が使えたらなおありがたいと云わなければなるまい。ハイズンは世間から二|返《へん》も死んだと評判された。一度は弔詩《ちょうし》まで作ってもらった。それにもかかわらず彼は依然として生きていた。余も当時はある新聞から死んだと書かれたそうであ
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