まえば死ぬと云う事は何でもないものだと云って、気の毒なほどおとなしい往生を遂げた。向うの外《はず》れにいた潰瘍患者《かいようかんじゃ》の高い咳嗽《せき》が日《ひ》ごとに薄らいで行くので、大方落ちついたのだろうと思って町井さんに尋ねて見ると、衰弱の結果いつの間にか死んでいた。そうかと思うと、癌《がん》で見込のない病人の癖に、から景気をつけて、回診の時に医師の顔を見るや否や、すぐ起き直って尻《しり》を捲《まく》るというのがあった。附添の女房を蹴《け》たり打《ぶ》ったりするので、女房が洗面所へ来て泣いているのを、看護婦が見兼《みかね》て慰めていましたと町井さんが話した事も覚えている。ある食道狭窄《しょくどうきょうさく》の患者は病院には這入《はい》っているようなものの迷いに迷い抜いて、灸点師《きゅうてんし》を連れて来て灸を据《す》えたり、海草《かいそう》を採《と》って来て煎《せん》じて飲んだりして、ひたすら不治の癌症《がんしょう》を癒《なお》そうとしていた。……
 余はこれらの人と、一つ屋根の下に寝て、一つ賄《まかない》の給仕を受けて、同じく一つ春を迎えたのである。退院後一カ月|余《よ》の今日《こんにち》になって、過去を一攫《ひとつかみ》にして、眼の前に並べて見ると、アイロニーの一語はますます鮮やかに頭の中に拈出《ねんしゅつ》される。そうしていつの間にかこのアイロニーに一種の実感が伴って、両《ふた》つのものが互に纏綿《てんめん》して来た。鼬の町井さんも、梅の花も、支那水仙も、雑煮《ぞうに》も、――あらゆる尋常の景趣はことごとく消えたのに、ただ当時の自分と今の自分との対照だけがはっきりと残るためだろうか。



底本:「夏目漱石全集7」ちくま文庫、筑摩書房
   1988(昭和63年)年4月26日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年4月〜1972(昭和47)年1月
入力:柴田卓治
校正:伊藤時也
1999年6月26日公開
2004年2月26日修正
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