きまえ》も思い出された。聖書と関係の薄い余にさえ、檜扇《ひおうぎ》を熱帯的に派出《はで》に仕立てたような唐菖蒲は、深い沈んだ趣《おもむき》を表わすにはあまり強過ぎるとしか思われなかった。唐菖蒲はどうでもよい。余が想像に描いた幽《かす》かな花は、一輪も見る機会のないうちに立秋に入《い》った。百合は露《つゆ》と共に摧《くだ》けた。
 人は病むもののために裏の山に入《い》って、ここかしこから手の届く幾茎《いくくき》の草花を折って来た。裏の山は余の室《へや》から廊下伝いにすぐ上《のぼ》る便《たより》のあるくらい近かった。障子《しょうじ》さえ明けておけば、寝ながら縁側《えんがわ》と欄間《らんま》の間を埋《うず》める一部分を鼻の先に眺《なが》める事もできた。その一部分は岩と草と、岩の裾《すそ》を縫うて迂回《うかい》して上《のぼ》る小径《こみち》とから成り立っていた。余は余のために山に上《のぼ》るものの姿が、縁の高さを辞して欄間の高さに達するまでに、一遍影を隠して、また反対の位地から現われて、ついに余の視線のほかに没してしまうのを大いなる変化のごとくに眺めた。そうして同じ彼等の姿が再び欄間の上から曲折して下《くだ》って来るのを疎《うと》い眼で眺めた。彼らは必ず粗《あら》い縞《しま》の貸浴衣《かしゆかた》を着て、日の照る時は手拭《てぬぐい》で頬冠《ほおかむ》りをしていた。岨道《そばみち》を行くべきものとも思われないその姿が、花を抱《かか》えて岩の傍《そば》にぬっと現われると、一種芝居にでも有りそうな感じを病人に与えるくらい釣合《つりあい》がおかしかった。
 彼等の採《と》って来てくれるものは色彩の極《きわ》めて乏しい野生の秋草であった。
 ある日しんとした真昼に、長い薄《すすき》が畳に伏さるように活けてあったら、いつどこから来たとも知れない蟋蟀《きりぎりす》がたった一つ、おとなしく中ほどに宿《とま》っていた。その時薄は虫の重みで撓《しな》いそうに見えた。そうして袋戸《ふくろど》に張った新らしい銀の上に映る幾分かの緑が、暈《ぼか》したように淡くかつ不分明《ふぶんみょう》に、眸《ひとみ》を誘うので、なおさら運動の感覚を刺戟《しげき》した。
 薄は大概すぐ縮《ちぢ》れた。比較的長く持つ女郎花《おみなえし》さえ眺めるにはあまり色素が足りなかった。ようやく秋草の淋《さみ》しさを物憂《ものう》
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