がってきて、澄み切った秋の空気の中へ広がり尽くすと、ついにはきわめて稀薄な波になる。そのまた余波が三四郎の鼓膜《こまく》のそばまで来てしぜんにとまる。騒がしいというよりはかえっていい心持ちである。
 時に突然左の横町から二人あらわれた。その一人が三四郎を見て、「おい」と言う。
 与次郎の声はきょうにかぎって、几帳面《きちょうめん》である。その代り連《つれ》がある。三四郎はその連を見た時、はたして日ごろの推察どおり、青木堂で茶を飲んでいた人が、広田さんであるということを悟った。この人とは水蜜桃《すいみつとう》以来妙な関係がある。ことに青木堂で茶を飲んで煙草をのんで、自分を図書館に走らしてよりこのかた、いっそうよく記憶にしみている。いつ見ても神主《かんぬし》のような顔に西洋人の鼻をつけている。きょうもこのあいだの夏服で、べつだん寒そうな様子もない。
 三四郎はなんとか言って、挨拶《あいさつ》をしようと思ったが、あまり時間がたっているので、どう口をきいていいかわからない。ただ帽子を取って礼をした。与次郎に対しては、あまり丁寧すぎる。広田に対しては、少し簡略すぎる。三四郎はどっちつかずの中間に
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