あおきどう》も教わった。やはり大学生のよく行く所だそうである。赤門をはいって、二人《ふたり》で池の周囲を散歩した。その時ポンチ絵の男は、死んだ小泉《こいずみ》八雲《やくも》先生は教員控室へはいるのがきらいで講義がすむといつでもこの周囲をぐるぐる回って歩いたんだと、あたかも小泉先生に教わったようなことを言った。なぜ控室へはいらなかったのだろうかと三四郎が尋ねたら、
「そりゃあたりまえださ。第一彼らの講義を聞いてもわかるじゃないか。話せるものは一人もいやしない」と手ひどいことを平気で言ったには三四郎も驚いた。この男は佐々木《ささき》与次郎《よじろう》といって、専門学校を卒業して、今年また選科へはいったのだそうだ。東片町《ひがしかたまち》の五番地の広田《ひろた》という家《うち》にいるから、遊びに来いと言う。下宿かと聞くと、なに高等学校の先生の家だと答えた。
 それから当分のあいだ三四郎は毎日学校へ通って、律義《りちぎ》に講義を聞いた。必修課目以外のものへも時々出席してみた。それでも、まだもの足りない。そこでついには専攻課目にまるで縁故のないものまでへもおりおりは顔を出した。しかしたいていは二
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