聞きながら、柿の木の下にある藁葺《わらぶき》屋根に影をつけたが、
「少し黒すぎますね」と絵を三四郎の前へ出した。三四郎は今度は正直に、
「ええ、少し黒すぎます」と答えた。すると、よし子は画筆に水を含ませて、黒い所を洗いながら、
「いらっしゃいますわ」とようやく三四郎に返事をした。
「たびたび?」
「ええたびたび」とよし子は依然として画紙に向かっている。三四郎は、よし子が絵のつづきをかきだしてから、問答がたいへん楽になった。
 しばらく無言のまま、絵のなかをのぞいていると、よし子はたんねんに藁葺屋根の黒い影を洗っていたが、あまり水が多すぎたのと、筆の使い方がなかなか不慣れなので、黒いものがかってに四方へ浮き出して、せっかく赤くできた柿が、陰干の渋柿《しぶがき》のような色になった。よし子は画筆の手を休めて、両手を伸ばして、首をあとへ引いて、ワットマンをなるべく遠くからながめていたが、しまいに、小さな声で、
「もう駄目ね」と言う。じっさいだめなのだから、しかたがない。三四郎は気の毒になった。
「もうおよしなさい。そうして、また新しくおかきなさい」
 よし子は顔を絵に向けたまま、しりめに三四郎
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