くりおちついている。ほとんど与次郎の顔を見ないくらいである。三四郎は敬服した。
台所から下女が茶を持って来る。籃を取り巻いた連中は、サンドイッチを食い出した。少しのあいだは静かであったが、思い出したように与次郎がまた広田先生に話しかけた。
「先生、ついでだからちょっと聞いておきますがさっきのなんとかベーンですね」
「アフラ・ベーンか」
「ぜんたいなんです、そのアフラ・ベーンというのは」
「英国の閨秀《けいしゅう》作家だ。十七世紀の」
「十七世紀は古すぎる。雑誌の材料にゃなりませんね」
「古い。しかし職業として小説に従事したはじめての女だから、それで有名だ」
「有名じゃ困るな。もう少し伺っておこう。どんなものを書いたんですか」
「ぼくはオルノーコという小説を読んだだけだが、小川さん、そういう名の小説が全集のうちにあったでしょう」
三四郎はきれいに忘れている。先生にその梗概《こうがい》を聞いてみると、オルノーコという黒ん坊の王族が英国の船長にだまされて、奴隷《どれい》に売られて、非常に難儀をする事が書いてあるのだそうだ。しかもこれは作家の実見譚《じっけんだん》だとして後世に信ぜられてい
前へ
次へ
全364ページ中127ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング