それで」と言って首を横に曲げて考えた。
「しかしおいでになったほうがいいでしょう。もし悪いといけません」
「さよう。四《し》、五日《ごんち》行かないうちにそう急に変るわけもなさそうですが、まあ行ってみるか」
「おいでになるにしくはないでしょう」
野々宮は行くことにした。行くときめたについては、三四郎に頼みがあると言いだした。万一病気のための電報とすると、今夜は帰れない。すると留守《るす》が下女一人になる。下女が非常に臆病《おくびょう》で、近所がことのほかぶっそうである。来合わせたのがちょうど幸いだから、あすの課業にさしつかえがなければ泊ってくれまいか、もっともただの電報ならばすぐ帰ってくる。まえからわかっていれば、例の佐々木でも頼むはずだったが、今からではとても間に合わない。たった一晩のことではあるし、病院へ泊るか、泊らないか、まだわからないさきから、関係もない人に、迷惑をかけるのはわがまますぎて、しいてとは言いかねるが、――むろん野々宮はこう流暢《りゅうちょう》には頼まなかったが、相手の三四郎が、そう流暢に頼まれる必要のない男だから、すぐ承知してしまった。
下女が御飯はというのを、「食わない」と言ったまま、三四郎に「失敬だが、君一人で、あとで食ってください」と夕飯まで置き去りにして、出ていった。行ったと思ったら暗い萩《はぎ》の間から大きな声を出して、
「ぼくの書斎にある本はなんでも読んでいいです。別におもしろいものもないが、何か御覧なさい。小説も少しはある」
と言ったまま消えてなくなった。椽側まで見送って三四郎が礼を述べた時は、三坪《みつぼ》ほどな孟宗藪の竹が、まばらなだけに一本ずつまだ見えた。
まもなく三四郎は八畳敷の書斎のまん中で小さい膳《ぜん》を控えて、晩飯を食った。膳の上を見ると、主人の言葉にたがわず、かのひめいち[#「ひめいち」に傍点]がついている。久しぶりで故郷《ふるさと》の香をかいだようでうれしかったが、飯はそのわりにうまくなかった。お給仕に出た下女の顔を見ると、これも主人の言ったとおり、臆病にできた目鼻であった。
飯が済むと下女は台所へ下がる。三四郎は一人になる。一人になっておちつくと、野々宮君の妹の事が急に心配になってきた。危篤《きとく》なような気がする。野々宮君の駆けつけ方がおそいような気がする。そうして妹がこのあいだ見た女のような気
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