ネいんだなと悟った。
やがてコーヒーが出る。一人が椅子《いす》を離れて立った。与次郎が激しく手をたたくと、ほかの者もたちまち調子を合わせた。
立った者は、新しい黒の制服を着て、鼻の下にもう髭《ひげ》をはやしている。背がすこぶる高い。立つには恰好《かっこう》のよい男である。演説めいたことを始めた。
我々が今夜ここへ寄って、懇親のために、一夕《いっせき》の歓をつくすのは、それ自身において愉快な事であるが、この懇親が単に社交上の意味ばかりでなく、それ以外に一種重要な影響を生じうると偶然ながら気がついたら自分は立ちたくなった。この会合はビールに始まってコーヒーに終っている。まったく普通の会合である。しかしこのビールを飲んでコーヒーを飲んだ四十人近くの人間は普通の人間ではない。しかもそのビールを飲み始めてからコーヒーを飲み終るまでのあいだに、すでに自己の運命の膨脹を自覚しえた。
政治の自由を説いたのは昔の事である。言論の自由を説いたのも過去の事である。自由とは単にこれらの表面にあらわれやすい事実のために専有されべき言葉ではない。我ら新時代の青年は偉大なる心の自由を説かねばならぬ時運に際会したと信ずる。
我々は古き日本の圧迫に堪《た》ええぬ青年である。同時に新しき西洋の圧迫にも堪《た》ええぬ青年であるということを、世間に発表せねばいられぬ状況のもとに生きている。新しき西洋の圧迫は社会の上においても文芸の上においても、我ら新時代の青年にとっては古き日本の圧迫と同じく、苦痛である。
我々は西洋の文芸を研究する者である。しかし研究はどこまでも研究である。その文芸のもとに屈従するのとは根本的に相違がある。我々は西洋の文芸にとらわれんがために、これを研究するのではない。とらわれたる心を解脱《げだつ》せしめんがために、これを研究しているのである。この方便に合せざる文芸はいかなる威圧のもとにしいらるるとも学ぶ事をあえてせざるの自信と決心とを有している。
我々はこの自信と決心とを有するの点において普通の人間とは異なっている。文芸は技術でもない、事務でもない。より多く人生の根本義に触れた社会の原動力である。我々はこの意味において文芸を研究し、この意味において如上《じょじょう》の自信と決心とを有し、この意味において今夕《こんせき》の会合に一般以上の重大なる影響を想見するのである。
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