見ないとは限らない。あの女が浩さんの宿所姓名をその時に覚え込んだとして、これに小説的分子を五|分《ぶ》ばかり加味すれば寂光院事件は全く起らんとも云えぬ。女の方はそれで解《かい》せたとして浩さんの方が不思議だ。どうしてちょっと逢ったものをそう何度も夢に見るかしらん。どうも今少したしかな土台が欲しいがとなお読んで行くと、こんな事が書いてある。「近世の軍略において、攻城は至難なるものの一として数えらる。我が攻囲軍の死傷多きは怪しむに足らず。この二三ヶ月間に余が知れる将校の城下に斃《たお》れたる者は枚挙《まいきょ》に遑《いとま》あらず。死は早晩余を襲い来らん。余は日夜に両軍の砲撃を聞きて、今か今かと順番の至るを待つ」なるほど死を決していたものと見える。十一月二十五日の条にはこうある。「余の運命もいよいよ明日に逼《せま》った」今度は言文一致である。「軍人が軍《いく》さで死ぬのは当然の事である。死ぬのは名誉である。ある点から云えば生きて本国に帰るのは死ぬべきところを死に損《そく》なったようなものだ」戦死の当日の所を見ると「今日限りの命だ。二竜山を崩《くず》す大砲の声がしきりに響く。死んだらあの音も聞えぬだろう。耳は聞えなくなっても、誰か来て墓参りをしてくれるだろう。そうして白い小さい菊でもあげてくれるだろう。寂光院は閑静な所だ」とある。その次に「強い風だ。いよいよこれから死にに行く。丸《たま》に中《あた》って仆《たお》れるまで旗を振って進むつもりだ。御母《おっか》さんは、寒いだろう」日記はここで、ぶつりと切れている。切れているはずだ。
余はぞっとして日記を閉じたが、いよいよあの女の事が気に懸《かか》ってたまらない。あの車は白山の方へ向いて馳《か》けて行ったから、何でも白山方面のものに相違ない。白山方面とすれば本郷の郵便局へ来んとも限らん。しかし白山だって広い。名前も分らんものを探《たず》ねて歩いたって、そう急に知れる訳がない。とにかく今夜の間に合うような簡略な問題ではない。仕方がないから晩食《ばんめし》を済ましてその晩はそれぎり寝る事にした。実は書物を読んでも何が書いてあるか茫々《ぼうぼう》として海に対するような感があるから、やむをえず床へ這入《はい》ったのだが、さて夜具の中でも思う通りにはならんもので、終夜安眠が出来なかった。
翌日学校へ出て平常の通り講義はしたが、例の事件が気になっていつものように授業に身が入《い》らない。控所へ来ても他の職員と話しをする気にならん。学校の退《ひ》けるのを待ちかねて、その足で寂光院へ来て見たが、女の姿は見えない。昨日《きのう》の菊が鮮やかに竹藪《たけやぶ》の緑に映じて雪の団子《だんご》のように見えるばかりだ。それから白山から原町、林町の辺《へん》をぐるぐる廻って歩いたがやはり何らの手懸《てがか》りもない。その晩は疲労のため寝る事だけはよく寝た。しかし朝になって授業が面白く出来ないのは昨日と変る事はなかった。三日目に教員の一人を捕《つら》まえて君白山方面に美人がいるかなと尋ねて見たら、うむ沢山いる、あっちへ引越したまえと云った。帰りがけに学生の一人に追いついて君は白山の方にいるかと聞いたら、いいえ森川町ですと答えた。こんな馬鹿な騒ぎ方をしていたって始まる訳のものではない。やはり平生のごとく落ちついて、緩《ゆ》るりと探究するに若《し》くなしと決心を定めた。それでその晩は煩悶《はんもん》焦慮もせず、例の通り静かに書斎に入って、せんだって中《じゅう》からの取調物を引き続いてやる事にした。
近頃余の調べている事項は遺伝と云う大問題である。元来余は医者でもない、生物学者でもない。だから遺伝と云う問題に関して専門上の智識は無論有しておらぬ。有しておらぬところが余の好奇心を挑撥《ちょうはつ》する訳で、近頃ふとした事からこの問題に関してその起原発達の歴史やら最近の学説やらを一通り承知したいと云う希望を起して、それからこの研究を始めたのである。遺伝と一口に云うとすこぶる単純なようであるがだんだん調べて見ると複雑な問題で、これだけ研究していても充分|生涯《しょうがい》の仕事はある。メンデリズムだの、ワイスマンの理論だの、ヘッケルの議論だの、その弟子のヘルトウィッヒの研究だの、スペンサーの進化心理説だのと色々の人が色々の事を云うている。そこで今夜は例のごとく書斎の裡《うち》で近頃出版になった英吉利《イギリス》のリードと云う人の著述を読むつもりで、二三枚だけは何気なくはぐってしまった。するとどう云う拍子《ひょうし》か、かの日記の中の事柄が、書物を読ませまいと頭の中へ割り込んでくる。そうはさせぬとまた一枚ほど開《あ》けると、今度は寂光院が襲って来る。ようやくそれを追払って五六枚無難に通過したかと思うと、御母《おっか》さんの切り下げの被布《ひふ》姿がページの上にあらわれる。読むつもりで決心して懸《かか》った仕事だから読めん事はない。読めん事はないがページとページの間に狂言が這入《はい》る。それでも構わずどしどし進んで行くと、この狂言と本文の間が次第次第に接近して来る。しまいにはどこからが狂言でどこまでが本文か分らないようにぼうっとして来た。この夢のようなありさまで五六分続けたと思ううち、たちまち頭の中に電流を通じた感じがしてはっと我に帰った。「そうだ、この問題は遺伝で解ける問題だ。遺伝で解けばきっと解ける」とは同時に吾口を突いて飛び出した言語である。今まではただ不思議である小説的である。何となく落ちつかない、何か疑惑を晴らす工夫はあるまいか、それには当人を捕えて聞き糺《ただ》すよりほかに方法はあるまいとのみ速断して、その結果は朋友に冷かされたり、屑屋《くずや》流に駒込近傍を徘徊《はいかい》したのである。しかしこんな問題は当人の支配権以外に立つ問題だから、よし当人を尋ねあてて事実を明らかにしたところで不思議は解けるものでない。当人から聞き得る事実その物が不思議である以上は余の疑惑は落ちつきようがない。昔はこんな現象を因果《いんが》と称《とな》えていた。因果は諦《あき》らめる者、泣く子と地頭には勝たれぬ者と相場がきまっていた。なるほど因果と言い放てば因果で済むかも知れない。しかし二十世紀の文明はこの因《いん》を極《きわ》めなければ承知しない。しかもこんな芝居的夢幻的現象の因を極めるのは遺伝によるよりほかにしようはなかろうと思う。本来ならあの女を捕《つら》まえて日記中の女と同人か別物かを明《あきらか》にした上で遺伝の研究を初めるのが順当であるが、本人の居所さえたしかならぬただいまでは、この順序を逆にして、彼らの血統から吟味して、下から上へ溯《さかのぼ》る代りに、昔から今に繰《く》りさげて来るよりほかに道はあるまい。いずれにしても同じ結果に帰着する訳だから構わない。
そんならどうして両人の血統を調べたものだろう。女の方は何者だか分らないから、先《ま》ず男の方から調べてかかる。浩さんは東京で生れたから東京っ子である。聞くところによれば浩さんの御父《おとっ》さんも江戸で生れて江戸で死んだそうだ。するとこれも江戸っ子である。御爺《おじい》さんも御爺さんの御父《おとっ》さんも江戸っ子である。すると浩さんの一家は代々東京で暮らしたようであるがその実町人でもなければ幕臣でもない。聞くところによると浩さんの家は紀州の藩士であったが江戸詰で代々こちらで暮らしたのだそうだ。紀州の家来と云う事だけ分ればそれで充分|手懸《てがか》りはある。紀州の藩士は何百人あるか知らないが現今東京に出ている者はそんなに沢山あるはずがない。ことにあの女のように立派な服装をしている身分なら藩主の家へ出入りをするにきまっている。藩主の家に出入するとすればその姓名はすぐに分る。これが余の仮定である。もしあの女が浩さんと同藩でないとするとこの事件は当分|埓《らち》があかない。抛《ほう》って置いて自然天然寂光院に往来で邂逅《かいこう》するのを待つよりほかに仕方がない。しかし余の仮定が中《あた》るとすると、あとは大抵余の考え通りに発展して来るに相違ない。余の考によると何でも浩さんの先祖と、あの女の先祖の間に何事かあって、その因果でこんな現象を生じたに違いない。これが第二の仮定である。こうこしらえてくるとだんだん面白くなってくる。単に自分の好奇心を満足させるばかりではない。目下研究の学問に対してもっとも興味ある材料を給与する貢献《こうけん》的事業になる。こう態度が変化すると、精神が急に爽快《そうかい》になる。今までは犬だか、探偵だかよほど下等なものに零落したような感じで、それがため脳中不愉快の度をだいぶ高めていたが、この仮定から出立すれば正々堂々たる者だ。学問上の研究の領分に属すべき事柄である。少しも疚《や》ましい事はないと思い返した。どんな事でも思い返すと相当のジャスチフィケーションはある者だ。悪るかったと気がついたら黙坐して思い返すに限る。
あくる日学校で和歌山県出の同僚某に向って、君の国に老人で藩の歴史に詳しい人はいないかと尋ねたら、この同僚首をひねってあるさと云う。因《よ》ってその人物を承《うけたま》わると、もとは家老《かろう》だったが今では家令《かれい》と改名して依然として生きていると何だか妙な事を答える。家令ならなお都合がいい、平常《ふだん》藩邸に出入《しゅつにゅう》する人物の姓名職業は無論承知しているに違ない。
「その老人は色々昔の事を記憶しているだろうな」
「うん何でも知っている。維新の時なぞはだいぶ働いたそうだ。槍《やり》の名人でね」
槍などは下手《へた》でも構わん。昔《むか》し藩中に起った異聞奇譚《いぶんきだん》を、老耄《ろうもう》せずに覚えていてくれればいいのである。だまって聞いていると話が横道へそれそうだ。
「まだ家令を務《つと》めているくらいなら記憶はたしかだろうな」
「たしか過ぎて困るね。屋敷のものがみんな弱っている。もう八十近いのだが、人間も随分丈夫に製造する事が出来るもんだね。当人に聞くと全く槍術《そうじゅつ》の御蔭だと云ってる。それで毎朝起きるが早いか槍をしごくんだ……」
「槍はいいが、その老人に紹介して貰えまいか」
「いつでもして上げる」と云うと傍《そば》に聞いていた同僚が、君は白山の美人を探《さ》がしたり、記憶のいい爺さんを探したり、随分多忙だねと笑った。こっちはそれどころではない。この老人に逢いさえすれば、自分の鑑定が中《あた》るか外《はず》れるか大抵の見当がつく。一刻も早く面会しなければならん。同僚から手紙で先方の都合を聞き合せてもらう事にする。
二三日《にさんち》は何の音沙汰《おとさた》もなく過ぎたが、御面会をするから明日《みょうにち》三時頃来て貰いたいと云う返事がようやくの事来たよと同僚が告げてくれた時は大《おおい》に嬉《うれ》しかった。その晩は勝手次第に色々と事件の発展を予想して見て、先《ま》ず七分までは思い通りの事実が暗中から白日の下《もと》に引き出されるだろうと考えた。そう考えるにつけて、余のこの事件に対する行動が――行動と云わんよりむしろ思いつきが、なかなか巧みである、無学なものならとうていこんな点に考えの及ぶ気遣《きづかい》はない、学問のあるものでも才気のない人にはこのような働きのある応用が出来る訳がないと、寝ながら大得意であった。ダーウィンが進化論を公けにした時も、ハミルトンがクォーターニオンを発明した時も大方《おおかた》こんなものだろうと独《ひと》りでいい加減にきめて見る。自宅《うち》の渋柿は八百屋《やおや》から買った林檎《りんご》より旨《うま》いものだ。
翌日《あくるひ》は学校が午《ひる》ぎりだから例刻を待ちかねて麻布《あざぶ》まで車代二十五銭を奮発して老人に逢って見る。老人の名前はわざと云わない。見るからに頑丈《がんじょう》な爺さんだ。白い髯《ひげ》を細長く垂れて、黒紋付に八王子平《はちおうじひら》で控えている。「やあ、あなたが、何の御友達で」と同僚の名を云う。まるで小供扱だ。これから大発明をして
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