な現象を因果《いんが》と称《とな》えていた。因果は諦《あき》らめる者、泣く子と地頭には勝たれぬ者と相場がきまっていた。なるほど因果と言い放てば因果で済むかも知れない。しかし二十世紀の文明はこの因《いん》を極《きわ》めなければ承知しない。しかもこんな芝居的夢幻的現象の因を極めるのは遺伝によるよりほかにしようはなかろうと思う。本来ならあの女を捕《つら》まえて日記中の女と同人か別物かを明《あきらか》にした上で遺伝の研究を初めるのが順当であるが、本人の居所さえたしかならぬただいまでは、この順序を逆にして、彼らの血統から吟味して、下から上へ溯《さかのぼ》る代りに、昔から今に繰《く》りさげて来るよりほかに道はあるまい。いずれにしても同じ結果に帰着する訳だから構わない。
 そんならどうして両人の血統を調べたものだろう。女の方は何者だか分らないから、先《ま》ず男の方から調べてかかる。浩さんは東京で生れたから東京っ子である。聞くところによれば浩さんの御父《おとっ》さんも江戸で生れて江戸で死んだそうだ。するとこれも江戸っ子である。御爺《おじい》さんも御爺さんの御父《おとっ》さんも江戸っ子である。すると浩さ
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