合図に、ぺらぺらと吐く※[#「(諂−言)+炎」、第3水準1−87−64]《ほのお》の舌は暗き大地を照らして咽喉《のど》を越す血潮の湧《わ》き返る音が聞えた。今度は黒雲の端《はじ》を踏み鳴らして「肉を食《くら》え」と神が号《さけ》ぶと「肉を食え! 肉を食え!」と犬共も一度に咆《ほ》え立てる。やがてめりめりと腕を食い切る、深い口をあけて耳の根まで胴にかぶりつく。一つの脛《すね》を啣《くわ》えて左右から引き合う。ようやくの事肉は大半平げたと思うと、また羃々《べきべき》たる雲を貫《つら》ぬいて恐しい神の声がした。「肉の後には骨をしゃぶれ」と云う。すわこそ骨だ。犬の歯は肉よりも骨を噛《か》むに適している。狂う神の作った犬には狂った道具が具《そな》わっている。今日の振舞を予期して工夫してくれた歯じゃ。鳴らせ鳴らせと牙《きば》を鳴らして骨にかかる。ある者は摧《くじ》いて髄《ずい》を吸い、ある者は砕いて地に塗《まみ》る。歯の立たぬ者は横にこいて牙《きば》を磨《と》ぐ。
 怖《こわ》い事だと例の通り空想に耽《ふけ》りながらいつしか新橋へ来た。見ると停車場前の広場はいっぱいの人で凱旋門《がいせんもん》を通
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