んが承諾する――否《いな》先方から依頼する以上は無論興味のある仕事に相違ない。だから御母さんに読んでくれと云われたときは大に乗気になってそれは是非見せてちょうだいとまで云おうと思ったが、この上また日記で泣かれるような事があっては大変だ。とうてい余の手際《てぎわ》では切り抜ける訳には行かぬ。ことに時刻を限ってある人と面会の約束をした刻限も逼《せま》っているから、これは追って改めて上がって緩々《ゆるゆる》拝見を致す事に願いましょうと逃げ出したくらいである。以上の理由で訪問はちと辟易《へきえき》の体《てい》である。もっとも日記は読みたくない事もない。泣かれるのも少しなら厭《いや》とは云わない。元々木や石で出来上ったと云う訳ではないから人の不幸に対して一滴の同情くらいは優《ゆう》に表し得る男であるがいかんせん性来《しょうらい》余り口の製造に念が入《い》っておらんので応対に窮する。御母さんがまああなた聞いて下さいましと啜《すす》り上げてくると、何と受けていいか分らない。それを無理矢理に体裁《ていさい》を繕《つく》ろって半間《はんま》に調子を合せようとするとせっかくの慰藉《いしゃ》的好意が水泡と変化するのみならず、時には思いも寄らぬ結果を呈出して熱湯とまで沸騰《ふっとう》する事がある。これでは慰めに行ったのか怒らせに行ったのか先方でも了解に苦しむだろう。行きさえしなければ薬も盛らん代りに毒も進めぬ訳だから危険はない。訪問はいずれその内として、まず今日は見合せよう。
訪問は見合せる事にしたが、昨日《きのう》の新橋事件を思い出すと、どうも浩さんの事が気に掛ってならない。何らかの手段で親友を弔《とむら》ってやらねばならん。悼亡《とうぼう》の句などは出来る柄《がら》でない。文才があれば平生の交際をそのまま記述して雑誌にでも投書するがこの筆ではそれも駄目と。何かないかな? うむあるある寺参りだ。浩さんは松樹山《しょうじゅざん》の塹壕《ざんごう》からまだ上《あが》って来ないがその紀念の遺髪は遥《はる》かの海を渡って駒込の寂光院《じゃっこういん》に埋葬された。ここへ行って御参りをしてきようと西片町《にしかたまち》の吾家《わがや》を出る。
冬の取《と》っ付《つ》きである。小春《こはる》と云えば名前を聞いてさえ熟柿《じゅくし》のようないい心持になる。ことに今年《ことし》はいつになく暖かなので
前へ
次へ
全46ページ中18ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング