まちまち》であるが一日二十四時間のうち二十三時間五十五分までは皆意味のある言葉を使っている。着衣の件、喫飯《きっぱん》の件、談判の件、懸引《かけひき》の件、挨拶《あいさつ》の件、雑話の件、すべて件と名のつくものは皆口から出る。しまいには件がなければ口から出るものは無いとまで思う。そこへもって来て、件のないのに意味の分らぬ音声を出すのは尋常ではない。出しても用の足りぬ声を使うのは経済主義から云うても功利主義から云っても割に合わぬにきまっている。その割に合わぬ声を不作法に他人様の御聞《おきき》に入れて何らの理由もないのに罪もない鼓膜《こまく》に迷惑を懸《か》けるのはよくせき[#「よくせき」に傍点]の事でなければならぬ。咄喊《とっかん》はこのよくせき[#「よくせき」に傍点]を煎《せん》じ詰めて、煮詰めて、缶詰《かんづ》めにした声である。死ぬか生きるか娑婆《しゃば》か地獄かと云う際《きわ》どい針線《はりがね》の上に立って身《み》震《ぶる》いをするとき自然と横膈膜《おうかくまく》の底から湧《わ》き上がる至誠の声である。助けてくれ[#「助けてくれ」に傍点]と云ううちに誠はあろう、殺すぞ[#「殺すぞ」に傍点]と叫ぶうちにも誠はない事もあるまい。しかし意味の通ずるだけそれだけ誠の度は少ない。意味の通ずる言葉を使うだけの余裕分別のあるうちは一心不乱の至境に達したとは申されぬ。咄喊にはこんな人間的な分子は交っておらん。ワーと云うのである。このワーには厭味《いやみ》もなければ思慮もない。理もなければ非もない。詐《いつわ》りもなければ懸引《かけひき》もない。徹頭徹尾ワーである。結晶した精神が一度に破裂して上下四囲の空気を震盪《しんとう》さしてワーと鳴る。万歳[#「万歳」に傍点]の助けてくれ[#「助けてくれ」に傍点]の殺すぞ[#「殺すぞ」に傍点]のとそんなけちな意味を有してはおらぬ。ワーその物が直《ただ》ちに精神である。霊である。人間である。誠である。しかして人界崇高の感は耳を傾けてこの誠を聴き得たる時に始めて享受し得ると思う。耳を傾けて数十人、数百人、数千数万人の誠を一度[#「一度」に傍点]に聴き得たる時にこの崇高の感は始めて無上絶大の玄境《げんきょう》に入る。――余が将軍を見て流した涼しい涙はこの玄境の反応だろう。
 将軍のあとに続いてオリーヴ色の新式の軍服を着けた士官が二三人通る。これ
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