、思いがけなくある実際上の効果を収めえたのであるから、手紙そのものにはそれほど興味がない。少なくとも、小説的な情調のもとに、それを読みえなかった自分にはそういう興味はなかった。そこが前にあげたフランスの二作家と違うところで、そこがまた彼らよりも散文的な自分をして、彼らの例にならって、その手紙をこの話の中心として、一字残らず写さしめなかった原因になる。
 手紙は疑いもなく宿屋で発見されたのである。場所もほとんどフランスの作家の筆にしたところとほとんど変わりはない。けれどもどうしてかどんな手紙をとかいう問いに答えるためには、それを発見した当時から約一週間ほどまえにさかのぼって説明する必要がある。
 いよいよK市へ立つという前の晩になって、妻《さい》がちょうどいいついでだから、帰りに重吉《じゅうきち》さんのところへ寄っていらっしゃい、そうして重吉さんに会って、あのことをもっとはっきりきめていらっしゃい。なんだか紙鳶《たこ》が木の枝へ引っかかっていながら、途中で揚がってるような気がしていけませんからと言った。重吉のことは自分も同感であった。それにしても妻によくこんな気のきいた言葉が使えると思っ
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