とにくっついて来た男が吃驚《びっくり》して落車したのもまた無理のないところである、双方共無理のないところであるから不思議はない、当然の事であるが、西洋人の論理はこれほどまで発達しておらんと見えて、彼の落ち人|大《おおい》に逆鱗《げきりん》の体で、チンチンチャイナマンと余を罵《ののし》った、罵られたる余は一矢酬《いっしむく》ゆるはずであるが、そこは大悠《だいゆう》なる豪傑の本性をあらわして、御気の毒だねの一言を遺《のこ》してふり向もせずに曲って行く、実はふり向こうとするうちに車が通り過ぎたのである、「御気の毒だね」よりほかの語が出て来なかったのである、正直なる余は苟且《こうしょ》にも豪傑など云う、一種の曲者と間違らるるを恐れて、ここにゆっくり弁解しておくなり、万一余を豪傑だなどと買被《かいかぶ》って失敬な挙動あるにおいては七生まで祟《たた》るかも知れない、
忘月忘日 人間万事漱石の自転車で、自分が落ちるかと思うと人を落す事もある、そんなに落胆したものでもないと、今日はズーズーしく構えて、バタシー公園へと急ぐ、公園はすこぶる閑静だが、その手前三丁ばかりのところが非常の雑沓《ざっとう》な通りで、初学者たる余にとっては難透難徹の難関である、今しも余の自転車は「ラヴェンダー」坂を無難に通り抜けて、この四通八達の中央へと乗り出す、向うに鉄道馬車が一台こちらを向いて休んでいる、その右側に非常に大なる荷車が向うむきに休んでいる、その間約四尺ばかり、余はこの四尺の間をすり抜けるべく車を走らしたのである、余が車の前輪が馬車馬の前足と並んだ時、すなわち余の身体《からだ》が鉄道馬車と荷車との間に這入《はい》りかけた時、一台の自転車が疾風のごとく向《むこう》から割り込んで来た、かようなとっさの際には命が大事だから退却にしようか落車にしようかなどの分別は、さすがの吾輩にも出なかったと見えて、おやと思ったら身体はもう落ちておった、落方が少々まずかったので、落る時左の手でしたたか馬の太腹を叩《たた》いて、からくも四這《よつばい》の不体裁を免《まぬ》がれた、やれうれしやと思う間もなく鉄道馬車は前進し始める、馬は驚ろいて吾輩の自転車を蹴飛《けとば》す、相手の自転車は何喰わぬ顔ですうと抜けて行く、間《ま》の抜《ぬけ》さ加減は尋常一様にあらず、この時|派出《はで》やかなるギグに乗って後ろから馳《か》け来《きた》りたる一個の紳士、策《むち》を揚《あ》げざまに余が方を顧《かえり》みて曰《いわ》く大丈夫だ安心したまえ、殺しやしないのだからと、余心中ひそかに驚いて云う、して見ると時には自転車に乗せて殺してしまうのがあるのかしらん英国は険呑《けんのん》な所だと
* * *
余が廿貫目の婆さんに降参して自転車責に遇《あ》ってより以来、大落五度小落はその数を知らず、或時は石垣にぶつかって向脛《むこうずね》を擦《す》りむき、或る時は立木に突き当って生爪《なまづめ》を剥《は》がす、その苦戦云うばかりなし、しかしてついに物にならざるなり、元来この二十貫目の婆さんはむやみに人を馬鹿にする婆さんにして、この婆さんが皮肉に人を馬鹿にする時、その妹の十一貫目の婆さんは、瞬《またた》きもせず余が黄色な面を打守りていかなる変化が余の眉目《びもく》の間《かん》に現るるかを検査する役目を務める、御役目御苦労の至りだ、この二婆さんの呵責《かしゃく》に逢《あっ》てより以来、余が猜疑心《さいぎしん》はますます深くなり、余が継子根性《ままここんじょう》は日に日に増長し、ついには明け放しの門戸を閉鎖して我黄色な顔をいよいよ黄色にするのやむをえざるに至れり、彼二婆さんは余が黄色の深浅を測《はか》って彼ら一日のプログラムを定める、余は実に彼らにとって黄色な活動晴雨計であった、たまた※[#小書き片仮名マ、695−8]降参を申し込んで贏《あま》し得たるところ若干《いくばく》ぞと問えば、貴重な留学時間を浪費して下宿の飯を二人前食いしに過ぎず、さればこの降参は我に益なくして彼に損ありしものと思惟《しい》す、無残なるかな、
底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房
1988(昭和63)年7月26日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房
1971(昭和46)年4月〜1972(昭和47)年1月
入力:柴田卓治
校正:大野晋
1999年10月29日公開
2004年2月26日修正
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