うに引張り出す、不平なるは力を出して上からウンと押して見るとギーと鳴る事なり、伏して惟《おもんみ》れば関節が弛《ゆる》んで油気がなくなった老朽の自転車に万里の波濤《はとう》を超《こ》えて遥々《はるばる》と逢いに来たようなものである、自転車屋には恩給年限がないのか知らんとちょっと不審を起してみる、思うにその年限は疾《と》ッくの昔に来ていて今まで物置の隅《すみ》に閑居静養を専《もっぱ》らにした奴に違ない、計らざりき東洋の孤客に引きずり出され奔命に堪《たえ》ずして悲鳴を上るに至っては自転車の末路また憐《あわれ》むべきものありだがせめては降参の腹癒《はらいせ》にこの老骨をギューと云わしてやらんものをと乗らぬ先から当人はしきりに乗り気になる、然るにハンドルなるもの神経過敏にてこちらへ引けば股にぶつかり、向へ押しやると往来の真中へ馳《か》け出そうとする、乗らぬ内からかくのごとく処置に窮するところをもって見れば乗った後の事は思いやるだに涙の種と知られける、
「どこへ行って乗ろう」「どこだって今日初めて乗るのだからなるたけ人の通らない道の悪くない落ちても人の笑わないようなところに願いたい」と降参人ながらいろいろな条件を提出する、仁恵なる監督官は余が衷情《ちゅうじょう》を憐《あわれ》んで「クラパム・コンモン」の傍人跡あまり繁《しげ》からざる大道の横手馬乗場へと余を拉《らっ》し去る、しかして後「さあここで乗って見たまえ」という、いよいよ降参人の降参人たる本領を発揮せざるを得ざるに至った、ああ悲夫、
 乗って見たまえとはすでに知己《ちき》の語にあらず、その昔本国にあって時めきし時代より天涯《てんがい》万里孤城落日資金窮乏の今日に至るまで人の乗るのを見た事はあるが自分が乗って見たおぼえは毛頭ない、去るを乗って見たまえとはあまり無慈悲なる一言と怒髪鳥打帽を衝《つい》て猛然とハンドルを握ったまではあっぱれ武者《むしゃ》ぶりたのもしかったがいよいよ鞍《くら》に跨《またが》って顧盻《こけい》勇を示す一段になるとおあつらえ通《どお》りに参らない、いざという間際《まぎわ》でずどんと落ること妙なり、自転車は逆立も何もせず至極《しごく》落ちつきはらったものだが乗客だけはまさに鞍壺《くらつぼ》にたまらずずんでん堂とこける、かつて講釈師に聞《きい》た通りを目のあたり自ら実行するとは、あにはからんや、
 監督官
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