《きた》りたる一個の紳士、策《むち》を揚《あ》げざまに余が方を顧《かえり》みて曰《いわ》く大丈夫だ安心したまえ、殺しやしないのだからと、余心中ひそかに驚いて云う、して見ると時には自転車に乗せて殺してしまうのがあるのかしらん英国は険呑《けんのん》な所だと

        *          *          *

 余が廿貫目の婆さんに降参して自転車責に遇《あ》ってより以来、大落五度小落はその数を知らず、或時は石垣にぶつかって向脛《むこうずね》を擦《す》りむき、或る時は立木に突き当って生爪《なまづめ》を剥《は》がす、その苦戦云うばかりなし、しかしてついに物にならざるなり、元来この二十貫目の婆さんはむやみに人を馬鹿にする婆さんにして、この婆さんが皮肉に人を馬鹿にする時、その妹の十一貫目の婆さんは、瞬《またた》きもせず余が黄色な面を打守りていかなる変化が余の眉目《びもく》の間《かん》に現るるかを検査する役目を務める、御役目御苦労の至りだ、この二婆さんの呵責《かしゃく》に逢《あっ》てより以来、余が猜疑心《さいぎしん》はますます深くなり、余が継子根性《ままここんじょう》は日に日に増長し、ついには明け放しの門戸を閉鎖して我黄色な顔をいよいよ黄色にするのやむをえざるに至れり、彼二婆さんは余が黄色の深浅を測《はか》って彼ら一日のプログラムを定める、余は実に彼らにとって黄色な活動晴雨計であった、たまた※[#小書き片仮名マ、695−8]降参を申し込んで贏《あま》し得たるところ若干《いくばく》ぞと問えば、貴重な留学時間を浪費して下宿の飯を二人前食いしに過ぎず、さればこの降参は我に益なくして彼に損ありしものと思惟《しい》す、無残なるかな、



底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房
   1988(昭和63)年7月26日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年4月〜1972(昭和47)年1月
入力:柴田卓治
校正:大野晋
1999年10月29日公開
2004年2月26日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全10ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング