野繁太郎氏などがあって、それ等の人はなかなか出来る方であったが、私達遊び仲間の連中は総《すべ》て不成績で、漸次《だんだん》、是等《これら》の諸氏と席の方が遠ざかるばかりであった。
五
不勉強位であったから、どちらかと云えば運動は比較的好きの方であったが、その運動も身体《からだ》が虚弱であった為め、規則正しい運動を努《つと》めてやったというのではない。唯《ただ》遊んだという方に過ぎないが、端艇競漕《ボートレース》などは先《ま》ず好んで行《や》った方であろう。前の中村是公氏などは、中々運動は上手の方で、何時《いつ》もボートではチャンピオンになっていた位であるが、私は好きでやったと云っても、チャンピオンなどには如何《どう》してもなれなかった。
その他運動と云っても、当時は未《ま》だベースボールもなく、庭球《テニス》もなかったから、普通体操位のもので、兵式体操はやらなかった。要するに運動というより気儘《きまま》勝手に遊び暮したという方で、よく春の休みなどになると、机を悉皆《すっかり》取片附けて了《しま》って、足押、腕押などいう詰らぬ運動――遊びをしては騒いでいたものである。試験になってもそう心配はしない。「我|豈《あ》に試験の点数などに関せんや」と云ったような考で、全く勉強と云う勉強はせずに居たから、頭脳は発達せず、成績はますます悪くなるばかり。一体私は頭の悪い方で――今でも然《そ》うだが――それに不勉強の方であったから、学校での信用も次第と無くなり、遂《つ》いに予科二年の時落第という運命に立ち至った。
落第して見ると誰も同じこと、さすがに可《い》い気持はせぬ。それからは前と違って、真面目《まじめ》に勉強もするようになったが、矢張り人普通のことをやったまでで、特別に厳しい勉強を続けたというのではない。
教場へ出ていても前と異って、ただ非常に注意して教師のいわれるのを聞くようにしたと云う位のものであった。真面目《まじめ》に勉強し、学校に出ても真面目に教師のいうことを注意して聞くようにすれば、然《そ》う矢鱈《やたら》に苦しまなくとも、普通ならやってゆかれることと思う。だから、私は仮令《よし》真面目な勉強をするようになった後でも、試験の前々から決して苦しむようなことはせず、試験のその前夜になって、始めて験《しら》べて置くというような方法を採《と》っていた位で
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