》り習ったこともあるが、どうも六《むず》カ敷《し》くて解らないから、暫《しば》らく廃《よ》して了《しま》った。その後少しも英語というものは学ばずにいた者が、兎《と》に角《かく》成立学舎へ入ると、前いう通り大抵の者は原書のみを使っているという風だから、教わるというものの、もともと素養のない頭にはなかなか容易に解らない。従って非常に骨を折ったものであるが、規則立っての勉強も、特殊な記憶法も執《と》ったわけではない。
又、英語は斯《こ》ういう風にやったらよかろうという自覚もなし、唯《ただ》早く、一日も早くどんな書物を見ても、それに何が書いてあるかということを知りたくて堪《たま》らなかった。それで謂《い》わば矢鱈《やたら》に読んで見た方であるが、それとて矢張り一定の時期が来なければ、幾ら何と思っても解らぬものは解る道理がない。又、今のように比較的書物が完備していたわけでないから、多く読むと云っても、自然と書物が限られている。先《ま》ず自分で苦労して、読み得るだけの力を養う外《ほか》ないと思って、何でも矢鱈《やたら》に読んだようであるが、その読んだものも重《おも》にどういうものか、今判然と覚えていない。そうこうしている中に予科三年位から漸々《だんだん》解るようになって来たのである。
私は又数学に就ても非常に苦しめられたもので、数学の時間にはボールドの前に引き出されて、その儘《まま》一時間位立往生したようなことがよくあった。
これは、大学予備門の入学試験に応じた時のことであるが、確か数学だけは隣の人に見せて貰ったのか、それともこっそり見たのか、まアそんなことをして試験は漸《や》っと済《すま》したが、可笑《おか》しいのは此の時のことで、私は無事に入学を許されたにも関《かかわ》らず、その見せて呉《く》れた方の男は、可哀想にも不首尾に終って了《しま》った。
四
成立学舎では、凡《およ》そ一年程も通ったが、その翌年大学予備門の入学試験を受けて見ると、前いうたようにうまく及第した。丁度《ちょうど》それが十七歳頃であったと思う。
一寸《ちょっと》ここで、此の頃の予備門に就《つい》て話して置くが、始め予備門の方の年数が四カ年、大学の方が四カ年、都合大学を出るまでには八年間を要することになっていたが、私の入学する前後はその規定は変じて、大学三年、予備門五年と云うことにな
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