と同じ事で、今日の午《ひる》に私は飯を三|杯《ばい》たべた、晩にはそれを四杯に殖《ふ》やしたというのも必ずしも国家のために増減したのではない。正直に云えば胃の具合できめたのである。しかしこれらも間接のまた間接に云えば天下に影響しないとは限らない、否|観方《みかた》によっては世界の大勢に幾分《いくぶん》か関係していないとも限らない。しかしながら肝心《かんじん》の当人はそんな事を考えて、国家のために飯を食わせられたり、国家のために顔を洗わせられたり、また国家のために便所に行かせられたりしては大変である。国家主義を奨励《しょうれい》するのはいくらしても差支ないが、事実できない事をあたかも国家のためにするごとくに装《よそお》うのは偽りである。――私の答弁はざっとこんなものでありました。
いったい国家というものが危くなれば誰だって国家の安否を考えないものは一人もない。国が強く戦争の憂《うれい》が少なく、そうして他から犯される憂がなければないほど、国家的観念は少なくなってしかるべき訳で、その空虚を充たすために個人主義が這入ってくるのは理の当然と申すよりほかに仕方がないのです。今の日本はそれほど安
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