のです。それだからその裏面には人に知られない淋《さび》しさも潜んでいるのです。すでに党派でない以上、我は我の行くべき道を勝手に行くだけで、そうしてこれと同時に、他人の行くべき道を妨げないのだから、ある時ある場合には人間がばらばらにならなければなりません。そこが淋しいのです。私がかつて朝日新聞の文芸欄《ぶんげいらん》を担任していた頃、だれであったか、三宅雪嶺《みやけせつれい》さんの悪口を書いた事がありました。もちろん人身攻撃ではないので、ただ批評に過ぎないのです。しかもそれがたった二三行あったのです。出たのはいつごろでしたか、私は担任者であったけれども病気をしたからあるいはその病気中かも知れず、または病気中でなくって、私が出して好いと認定したのかも知れません。とにかくその批評が朝日の文芸欄に載ったのです。すると「日本及び日本人」の連中が怒りました。私の所へ直接にはかけ合わなかったけれども、当時私の下働きをしていた男に取消《とりけし》を申し込んで来ました。それが本人からではないのです。雪嶺さんの子分――子分というと何だか博奕打《ばくちうち》のようでおかしいが、――まあ同人といったようなもの
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