へ来るような事を云いながら、他《ほか》にも相談をされては、仲に立った私が困ると云って譴責《けんせき》されました。私は年の若い上に、馬鹿の肝癪持《かんしゃくもち》ですから、いっそ双方《そうほう》とも断ってしまったら好いだろうと考えて、その手続きをやり始めたのです。するとある日当時の高等学校長、今ではたしか京都の理科大学長をしている久原さんから、ちょっと学校まで来てくれという通知があったので、さっそく出かけてみると、その座に高等師範の校長|嘉納治五郎《かのうじごろう》さんと、それに私を周旋してくれた例の先輩がいて、相談はきまった、こっちに遠慮《えんりょ》は要《い》らないから高等師範の方へ行ったら好かろうという忠告です。私は行《いき》がかり上|否《いや》だとは云えませんから承諾の旨を答えました。が腹の中では厄介《やっかい》な事になってしまったと思わざるを得なかったのです。というものは今考えるともったいない話ですが、私は高等師範などをそれほどありがたく思っていなかったのです。嘉納さんに始めて会った時も、そうあなたのように教育者として学生の模範《もはん》になれというような注文だと、私にはとても勤まりかねるからと逡巡《しゅんじゅん》したくらいでした。嘉納さんは上手な人ですから、否そう正直に断わられると、私はますますあなたに来ていただきたくなったと云って、私を離さなかったのです。こういう訳で、未熟な私は双方の学校を懸持《かけもち》しようなどという慾張根性《よくばりこんじょう》は更《さら》になかったにかかわらず、関係者に要らざる手数をかけた後、とうとう高等師範の方へ行く事になりました。
しかし教育者として偉《えら》くなり得るような資格は私に最初から欠けていたのですから、私はどうも窮屈《きゅうくつ》で恐《おそ》れ入りました。嘉納さんもあなたはあまり正直過ぎて困ると云ったくらいですから、あるいはもっと横着をきめていてもよかったのかも知れません。しかしどうあっても私には不向《ふむき》な所だとしか思われませんでした。奥底のない打ち明けたお話をすると、当時の私はまあ肴屋が菓子家《かしや》へ手伝いに行ったようなものでした。
一年の後私はとうとう田舎《いなか》の中学へ赴任《ふにん》しました。それは伊予《いよ》の松山にある中学校です。あなたがたは松山の中学と聞いてお笑いになるが、おおかた私の書いた「坊ちゃん」でもご覧になったのでしょう。「坊ちゃん」の中に赤シャツという渾名《あだな》をもっている人があるが、あれはいったい誰の事だと私はその時分よく訊かれたものです。誰の事だって、当時その中学に文学士と云ったら私一人なのですから、もし「坊ちゃん」の中の人物を一々実在のものと認めるならば、赤シャツはすなわちこういう私の事にならなければならんので、――はなはだありがたい仕合せと申上げたいような訳になります。
松山にもたった一カ年しかおりませんでした。立つ時に知事が留めてくれましたが、もう先方と内約ができていたので、とうとう断ってそこを立ちました。そうして今度は熊本《くまもと》の高等学校に腰《こし》を据《す》えました。こういう順序で中学から高等学校、高等学校から大学と順々に私は教えて来た経験をもっていますが、ただ小学校と女学校だけはまだ足を入れた試《ためし》がございません。
熊本には大分長くおりました。突然文部省から英国へ留学をしてはどうかという内談のあったのは、熊本へ行ってから何年目になりましょうか。私はその時留学を断《こと》わろうかと思いました。それは私のようなものが、何の目的ももたずに、外国へ行ったからと云って、別に国家のために役に立つ訳もなかろうと考えたからです。しかるに文部省の内意を取次《とりつ》いでくれた教頭が、それは先方の見込みなのだから、君の方で自分を評価する必要はない、ともかくも行った方が好かろうと云うので、私も絶対に反抗する理由もないから、命令通り英国へ行きました。しかし果《はた》せるかな何もする事がないのです。
それを説明するためには、それまでの私というものを一応お話ししなければならん事になります。そのお話がすなわち今日の講演の一部分を構成する訳なのですからそのつもりでお聞きを願います。
私は大学で英文学という専門をやりました。その英文学というものはどんなものかとお尋《たず》ねになるかも知れませんが、それを三年専攻した私にも何が何だかまあ夢中《むちゅう》だったのです。その頃はジクソンという人が教師でした。私はその先生の前で詩を読ませられたり文章を読ませられたり、作文を作って、冠詞《かんし》が落ちていると云って叱《しか》られたり、発音が間違っていると怒《おこ》られたりしました。試験にはウォーズウォースは何年に生れて何年に死んだとか、シェク
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