方へ進んで行くとその個性がますます発展して行くからでしょう。ああここにおれの安住の地位があったと、あなた方の仕事とあなたがたの個性が、しっくり合った時に、始めて云い得るのでしょう。
 これと同じような意味で、今申し上げた権力というものを吟味《ぎんみ》してみると、権力とは先刻《さっき》お話した自分の個性を他人の頭の上に無理矢理に圧《お》しつける道具なのです。道具だと断然云い切ってわるければ、そんな道具に使い得る利器なのです。
 権力に次ぐものは金力です。これもあなたがたは貧民よりも余計に所有しておられるに相違ない。この金力を同じくそうした意味から眺めると、これは個性を拡張するために、他人の上に誘惑《ゆうわく》の道具として使用し得る至極重宝なものになるのです。
 してみると権力と金力とは自分の個性を貧乏人《びんぼうにん》より余計に、他人の上に押し被《かぶ》せるとか、または他人をその方面に誘《おび》き寄せるとかいう点において、大変|便宜《べんぎ》な道具だと云わなければなりません。こういう力があるから、偉いようでいて、その実非常に危険なのです。先刻申した個性はおもに学問とか文芸とか趣味《しゅみ》とかについて自己の落ちつくべき所まで行って始めて発展するようにお話し致したのですが、実をいうとその応用ははなはだ広いもので、単に学芸だけにはとどまらないのです。私の知っている兄弟で、弟の方は家に引込《ひっこ》んで書物などを読む事が好きなのに引《ひ》き易《か》えて、兄はまた釣道楽《つりどうらく》に憂身《うきみ》をやつしているのがあります。するとこの兄が自分の弟の引込思案でただ家にばかり引籠《ひきこも》っているのを非常に忌《い》まわしいもののように考えるのです。必竟《ひっきょう》は釣をしないからああいう風に厭世的《えんせいてき》になるのだと合点《がてん》して、むやみに弟を釣に引張り出そうとするのです。弟はまたそれが不愉快でたまらないのだけれども、兄が高圧的に釣竿《つりざお》を担がしたり、魚籃《びく》を提げさせたりして、釣堀へ随行を命ずるものだから、まあ目を瞑《つむ》ってくっついて行って、気味の悪い鮒《ふな》などを釣っていやいや帰ってくるのです。それがために兄の計画通り弟の性質が直ったかというと、けっしてそうではない、ますますこの釣というものに対して反抗心を起してくるようになります。つまり
前へ 次へ
全27ページ中16ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング