いてまた冷嘲《ひやか》し始めた。岡田は兄の顔を見て、「久しぶりに会うと、すぐこれだから敵《かな》わない。全く東京ものは口が悪い」と云った。
「それにお重《しげ》の兄《あにき》だもの、岡田さん」と今度は自分が口を出した。
「お兼《かね》少し助けてくれ」と岡田がしまいに云った。そうして母の前に置いてあった先刻《さっき》のプログラムを取って袂《たもと》へ入れながら、「馬鹿馬鹿しい、骨を折ったり調戯われたり」とわざわざ怒った風をした。
 冗談《じょうだん》がひとしきり済むと、自分の予期していた通り、佐野の話が母の口から持ち出された。母は「このたびはまたいろいろ」と云ったような打って変った几帳面《きちょうめん》な言葉で岡田に礼を述べる、岡田はまたしかつめらしく改まった口上で、まことに行き届きませんでなどと挨拶《あいさつ》をする、自分には両方共|大袈裟《おおげさ》に見えた。それから岡田はちょうど好い都合だから、是非本人に会ってやってくれと、また会見の打ち合せをし始めた。兄もその話しの中に首を突込まなくっては義理が悪いと見えて、煙草を吹かしながら二人の相手になっていた。自分は病気で寝ているお貞《さだ》さんにこの様子を見せて、ありがたいと思うか、余計な御世話だと思うか、本当のところを聞いて見たい気がした。同時に三沢が別れる時、新しく自分の頭に残して行った美しい精神病の「娘さん」の不幸な結婚を聯想《れんそう》した。
 嫂《あによめ》とお兼さんは親しみの薄い間柄《あいだがら》であったけれども、若い女同志という縁故で先刻《さっき》から二人だけで話していた。しかし気心が知れないせいか、両方共遠慮がちでいっこう調子が合いそうになかった。嫂は無口な性質《たち》であった。お兼さんは愛嬌《あいきょう》のある方であった。お兼さんが十口《とくち》物をいう間に嫂は一口《ひとくち》しかしゃべれなかった。しかも種が切れると、その都度《つど》きっとお兼さんの方から供給されていた。最後に子供の話が出た。すると嫂の方が急に優勢になった。彼女はその小さい一人娘の平生を、さも興ありげに語った。お兼さんはまた嫂のくだくだしい叙述を、さも感心したように聞いていたが、実際はまるで無頓着《むとんじゃく》らしくも見えた。ただ一遍「よくまあお一人でお留守居《るすい》ができます事」と云ったのは誠らしかった。「お重さんによく馴《な》づいておりますから」と嫂は答えていた。

        五

 母と兄夫婦の滞在日数は存外少いものであった。まず市内で二三日市外で二三日しめて一週間足らずで東京へ帰る予定で出て来たらしかった。
「せめてもう少しはいいでしょう。せっかくここまで出ていらしったんだから。また来るたって、そりゃ容易な事じゃありませんよ、億劫《おっくう》で」
 こうは云うものの岡田も、母の滞在中会社の方をまるで休んで、毎日案内ばかりして歩けるほどの余裕は無論なかった。母も東京の宅《うち》の事が気にかかるように見えた。自分に云わせると、母と兄夫婦というからしてがすでに妙な組合せであった。本来なら父と母といっしょに来るとか、兄と嫂《あによめ》だけが連立《つれだ》って避暑に出かけるとか、もしまたお貞《さだ》さんの結婚問題が目的なら、当人の病気が癒《なお》るのを待って、母なり父なりが連れて来て、早く事を片づけてしまうとか、自然の予定は二通りも三通りもあった。それがこう変な形になって現れたのはどういう訳だか、自分には始めから呑《の》み込めなかった。母はまたそれを胸の中に畳込《たたみこ》んでいるという風に見えた。母ばかりではない、兄夫婦もそこに気がついているらしいところもあった。
 佐野との会見は型《かた》のごとく済んだ。母も兄も岡田に礼を述べていた。岡田の帰った後でも両方共佐野の批評はしなかった。もう事が極って批評をする余地がないというようにも取れた。結婚は年の暮に佐野が東京へ出て来る機会を待って、式を挙げるように相談が調《ととの》った。自分は兄に、「おめでた過ぎるくらい事件がどんどん進行して行く癖に、本人がいっこう知らないんだから面白い」と云った。
「当人は無論知ってるんだ」と兄が答えた。
「大喜びだよ」と母が保証した。
 自分は一言もなかった。しばらくしてから、「もっともこんな問題になると自分でどんどん進行させる勇気は日本の婦人にあるまいからな」と云った。兄は黙っていた。嫂は変な顔をして自分を見た。
「女だけじゃないよ。男だって自分勝手にむやみと進行されちゃ困りますよ」と母は自分に注意した。すると兄が「いっそその方が好いかも知れないね」と云った。その云い方が少し冷《ひやや》か過ぎたせいか、母は何だか厭《いや》な顔をした。嫂もまた変な顔をした。けれども二人とも何とも云わなかった。
 少し経《た》ってから母はようやく口を開いた。
「でも貞だけでもきまってくれるとお母さんは大変|楽《らく》な心持がするよ。後《あと》は重《しげ》ばかりだからね」
「これもお父さんの御蔭《おかげ》さ」と兄が答えた。その時兄の唇《くちびる》に薄い皮肉の影が動いたのを、母は気がつかなかった。
「全くお父さんの御蔭に違ないよ。岡田が今ああやってるのと同じ事さ」と母はだいぶ満足な体《てい》に見えた。
 憐《あわ》れな母は父が今でも社会的に昔通りの勢力をもっているとばかり信じていた。兄は兄だけに、社会から退隠したと同様の今の父に、その半分の影響さえむずかしいと云う事を見破っていた。
 兄と同意見の自分は、家族中ぐるになって、佐野を瞞《だま》しているような気がしてならなかった。けれどもまた一方から云えば、佐野は瞞されてもしかるべきだという考えが始めから頭のどこかに引っかかっていた。
 とにかく会見は満足のうちに済んだ。兄は暑いので脳に応《こた》えるとか云って、早く大阪を立ち退《の》く事を主張した。自分は固《もと》より賛成であった。

        六

 実際その頃の大阪は暑かった。ことに我々の泊っている宿屋は暑かった。庭が狭いのと塀《へい》が高いので、日の射し込む余地もなかったが、その代り風の通る隙間《すきま》にも乏しかった。ある時は湿《しめ》っぽい茶座敷の中で、四方から焚火《たきび》に焙《あぶ》られているような苦しさがあった。自分は夜通《よどお》し扇風器をかけてぶうぶう鳴らしたため、馬鹿な真似をして風邪《かぜ》でもひいたらどうすると云って母から叱られた事さえあった。
 大阪を立とうという兄の意見に賛成した自分は、有馬《ありま》なら涼しくって兄の頭によかろうと思った。自分はこの有名な温泉をまだ知らなかった。車夫が梶棒《かじぼう》へ綱を付けて、その綱の先をまた犬に付けて坂路を上《のぼ》るのだそうだが、暑いので犬がともすると渓河《たにがわ》の清水《しみず》を飲もうとするのを、車夫が怒《いか》って竹の棒でむやみに打擲《うちたた》くから、犬がひんひん苦しがりながら俥《くるま》を引くんだという話を、かつて聞いたまましゃべった。
「厭《いや》だねそんな俥に乗るのは、可哀想《かわいそう》で」と母が眉《まゆ》をひそめた。
「なぜまた水を飲ませないんだろう。俥が遅れるからかね」と兄が聞いた。
「途中で水を飲むと疲れて役に立たないからだそうです」と自分が答えた。
「へえー、なぜ」と今度は嫂《あによめ》が不思議そうに聞いたが、それには自分も答える事ができなかった。
 有馬行《ありまゆき》は犬のせいでもなかったろうけれども、とうとう立消《たちぎえ》になった。そうして意外にも和歌《わか》の浦《うら》見物が兄の口から発議《ほつぎ》された。これは自分もかねてから見たいと思っていた名所であった。母も子供の時からその名に親しみがあるとかで、すぐ同意した。嫂だけはどこでも構わないという風に見えた。
 兄は学者であった。また見識家《けんしきか》であった。その上詩人らしい純粋な気質を持って生れた好い男であった。けれども長男だけにどこかわがままなところを具えていた。自分から云うと、普通の長男よりは、だいぶ甘やかされて育ったとしか見えなかった。自分ばかりではない、母や嫂に対しても、機嫌《きげん》の好い時は馬鹿に好いが、いったん旋毛《つむじ》が曲り出すと、幾日《いくか》でも苦い顔をして、わざと口を利《き》かずにいた。それで他人の前へ出ると、また全く人間が変ったように、たいていな事があっても滅多《めった》に紳士の態度を崩《くず》さない、円満な好侶伴《こうりょはん》であった。だから彼の朋友はことごとく彼を穏《おだや》かな好い人物だと信じていた。父や母はその評判を聞くたびに案外な顔をした。けれどもやっぱり自分の子だと見えて、どこか嬉《うれ》しそうな様子が見えた。兄と衝突している時にこんな評判でも耳に入ろうものなら、自分はむやみに腹が立った。一々その人の宅《うち》まで出かけて行って、彼らの誤解を訂正してやりたいような気さえ起った。
 和歌の浦行に母がすぐ賛成したのも、実は彼女が兄の気性《きしょう》をよく呑み込んでいるからだろうと自分は思った。母は長い間わが子の我《が》を助けて育てるようにした結果として、今では何事によらずその我《が》の前に跪《ひざまず》く運命を甘んじなければならない位地《いち》にあった。
 自分は便所に立った時、手水鉢《ちょうずばち》の傍《そば》にぼんやり立っていた嫂《あによめ》を見付《めっ》けて、「姉さんどうです近頃は。兄さんの機嫌《きげん》は好い方なんですか悪い方なんですか」と聞いた。嫂は「相変らずですわ」とただ一口答えただけであった。嫂はそれでも淋《さみ》しい頬に片靨《かたえくぼ》を寄せて見せた。彼女は淋しい色沢《いろつや》の頬をもっていた。それからその真中に淋しい片靨をもっていた。

        七

 自分は立つ前に岡田に借りた金の片《かた》をつけて行きたかった。もっとも彼に話をしさえすれば、東京へ帰ってからでも構わないとは思ったけれども、ああいう人の金はなるべく早く返しておいた方が、こっちの心持がいいという考えがあった。それで誰も傍《そば》にいない折を見計らって、母にどうかしてくれと頼んだ。
 母は兄を大事にするだけあって、無論彼を心《しん》から愛していた。けれども長男という訳か、また気むずかしいというせいか、どこかに遠慮があるらしかった。ちょっとの事を注意するにしても、なるべく気に障《さわ》らないように、始めから気を置いてかかった。そこへ行くと自分はまるで子供同様の待遇を母から受けていた。「二郎そんな法があるのかい」などと頭ごなしにやっつけられた。その代りまた兄以上に可愛《かわい》がられもした。小遣《こづかい》などは兄にないしょでよく貰った覚《おぼえ》がある。父の着物などもいつの間にか自分のに仕立直してある事は珍らしくなかった。こういう母の仕打が、例の兄にはまたすこぶる気に入らなかった。些細《ささい》な事から兄はよく機嫌《きげん》を悪くした。そうして明るい家の中《うち》に陰気な空気を漲《みな》ぎらした。母は眉《まゆ》をひそめて、「また一郎の病気が始まったよ」と自分に時々|私語《ささや》いた。自分は母から腹心の郎党として取扱われるのが嬉しさに、「癖なんだから、放《ほう》っておおきなさい」ぐらい云って澄ましていた時代もあった。兄の性質が気むずかしいばかりでなく、大小となく影でこそこそ何かやられるのを忌《い》む正義の念から出るのだという事を後《あと》から知って以来、自分は彼に対してこんな軽薄な批評を加えるのを恥《は》ずるようになった。けれども表向《おもてむき》兄の承諾を求めると、とうてい行われにくい用件が多いので、自分はつい機会《おり》を見ては母の懐《ふところ》に一人|抱《だ》かれようとした。
 母は自分が三沢のために岡田から金を借りた顛末《てんまつ》を聞いて驚いた顔をした。
「そんな女のためにお金を使う訳がないじゃないか、三沢さんだって。馬鹿らしい」と云った。
「だけど、そこには三沢も義理があるんだから」と自分は弁解した。
「義理義理っ
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