その娘さんの精神に異状があるという事を明かに認め出してからはまだよかったが、知らないうちは今云った通り僕もその娘さんの露骨なのにずいぶん弱らせられた。父や母は苦《にが》い顔をする。台所のものはないしょでくすくす笑う。僕は仕方がないから、その娘さんが僕を送って玄関まで来た時、烈《はげ》しく怒りつけてやろうかと思って、二三度|後《うしろ》を振り返って見たが、顔を合《あわ》せるや否や、怒るどころか、邪慳《じゃけん》な言葉などは可哀《かわい》そうでとても口から出せなくなってしまった。その娘さんは蒼《あお》い色の美人だった。そうして黒い眉毛《まゆげ》と黒い大きな眸《ひとみ》をもっていた。その黒い眸は始終《しじゅう》遠くの方の夢を眺《ながめ》ているように恍惚《うっとり》と潤《うるお》って、そこに何だか便《たより》のなさそうな憐《あわれ》を漂《ただ》よわせていた。僕が怒ろうと思ってふり向くと、その娘さんは玄関に膝《ひざ》を突いたなりあたかも自分の孤独を訴《うった》えるように、その黒い眸を僕に向けた。僕はそのたびに娘さんから、こうして活きていてもたった一人で淋《さむ》しくってたまらないから、どうぞ助け
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