。それから時計を出して、食事を済ました後《あと》、時間にどのくらい余裕があるかを見た。窮屈に馴《な》れない二人はやがて転《ごろ》りと横になった。
「あの女は癒《なお》りそうなのか」
「そうさな。事によると癒るかも知れないが……」
 下女が誂《あつら》えた水菓子を鉢《はち》に盛って、梯子段《はしごだん》を上って来たので、「あの女」の話はこれで切れてしまった。自分は寝転《ねころ》んだまま、水菓子を食った。その間彼はただ自分の口の辺《あたり》を見るばかりで、何事も云わなかった。しまいにさも病人らしい調子で、「おれも食いたいな」と一言《ひとこと》云った。先刻《さっき》から浮かない様子を見ていた自分は、「構うものか、食うが好い。食え食え」と勧めた。三沢は幸いにして自分が氷菓子《アイスクリーム》を食わせまいとしたあの日の出来事を忘れていた。彼はただ苦笑いをして横を向いた。
「いくら好《すき》だって、悪いと知りながら、無理に食わせられて、あの女のようになっちゃ大変だからな」
 彼は先刻から「あの女」の事を考えているらしかった。彼は今でも「あの女」の事を考えているとしか思われなかった。
「あの女は君を
前へ 次へ
全520ページ中92ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング