に云う事ができなかったのである。
自分は歩きながら自分の卑怯《ひきょう》を恥じた。同時に三沢の卑怯を悪《にく》んだ。けれどもあさましい人間である以上、これから先何年|交際《まじわり》を重ねても、この卑怯を抜く事はとうていできないんだという自覚があった。自分はその時非常に心細くなった。かつ悲しくなった。
自分はその明日《あした》病院へ行って三沢の顔を見るや否や、「もう退院は勧めない」と断った。自分は手を突いて彼の前に自分の罪を詫《わ》びる心持でこう云ったのである。すると三沢は「いや僕もそうぐずぐずしてはいられない。君の忠告に従っていよいよ出る事にした」と答えた。彼は今朝院長から退院の許可を得た旨《むね》を話して、「あまり動くと悪いそうだから寝台で東京まで直行する事にした」と告げた。自分はその突然なのに驚いた。
二十八
「どうしてまたそう急に退院する気になったのか」
自分はこう聞いて見ないではいられなかった。三沢は自分の問に答える前にじっと自分の顔を見た。自分はわが顔を通して、わが心を読まれるような気がした。
「別段これという訳もないが、もう出る方が好かろうと思っ
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