彼は元来がぶっきらぼうの男だけれども、胸の奥には人一倍|優《やさ》しい感情をもっていた。そうして何か事があると急に熱する癖があった。
自分はすでに院内をぶらぶらするほどに回復した彼が、なぜ「あの女」の室《へや》へ入り込まないかを不審に思った。彼はけっして自分のような羞恥家《はにかみや》ではなかった。同情の言葉をかけに、一遍会った「あの女」の病室へ見舞に行くぐらいの事は、彼の性質から見て何でもなかった。自分は「そんなにあの女が気になるなら、直《じか》に行って、会って慰めてやれば好いじゃないか」とまで云った。彼は「うん、実は行きたいのだが……」と渋《しぶ》っていた。実際これは彼の平生にも似合わない挨拶《あいさつ》であった。そうしてその意味は解らなかった。解らなかったけれども、本当は彼の行かない方が、自分の希望であった。
ある時自分は「あの女」の看護婦から――自分とこの美しい看護婦とはいつの間にか口を利《き》くようになっていた。もっともそれは彼女が例の柱に倚《よ》りかかって、その前を通る自分の顔を見上げるときに、時候の挨拶を取換《とりか》わすぐらいな程度に過ぎなかったけれども、――とにか
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