うと、毎日子供を負ぶって、廊下だの物見台だの他人《ひと》の室《へや》だのを、ぶらぶら廻って歩く呑気《のんき》な男もあった。
「まるで病院を娯楽場のように思ってるんだね」
「第一《だいち》どっちが病人なんだろう」
 自分達はおかしくもありまた不思議でもあった。看護婦に聞くと、負ぶっているのは叔父で、負ぶさっているのは甥《おい》であった。この甥が入院当時骨と皮ばかりに瘠《や》せていたのを叔父の丹精《たんせい》一つでこのくらい肥《ふと》ったのだそうである。叔父の商売はめりやす屋だとか云った。いずれにしても金に困らない人なのだろう。
 三沢の一軒おいて隣にはまた変な患者がいた。手提鞄《てさげかばん》などを提《さ》げて、普通の人間の如く平気で出歩いた。時には病院を空《あ》ける事さえあった。帰って来ると素《す》っ裸体《ぱだか》になって、病院の飯を旨《うま》そうに食った。そうして昨日《きのう》はちょっと神戸まで行って来ましたなどと澄ましていた。
 岐阜からわざわざ本願寺参りに京都まで出て来たついでに、夫婦共この病院に這入《はい》ったなり動かないのもいた。その夫婦ものの室の床《とこ》には後光《ごこう》
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