人があり得るものかとわざと驚いたような顔をして、彼らの様子を一順《いちじゅん》見渡してから、梯子段《はしごだん》に足をかけた。自分が偶然あの女を見出だしたのは全くこの一瞬間にあった。あの女というのは三沢があの女あの女と呼ぶから自分もそう呼ぶのである。
 あの女はその時廊下の薄暗い腰掛の隅《すみ》に丸くなって横顔だけを見せていた。その傍《そば》には洗髪《あらいがみ》を櫛巻《くしまき》にした背の高い中年の女が立っていた。自分の一瞥《いちべつ》はまずその女の後姿《うしろすがた》の上に落ちた。そうして何だかそこにぐずぐずしていた。するとその年増《としま》が向うへ動き出した。あの女はその年増の影から現われたのである。その時あの女は忍耐の像のように丸くなってじっとしていた。けれども血色にも表情にも苦悶《くもん》の迹《あと》はほとんど見えなかった。自分は最初その横顔を見た時、これが病人の顔だろうかと疑った。ただ胸が腹に着くほど背中を曲げているところに、恐ろしい何物かが潜《ひそ》んでいるように思われて、それがはなはだ不快であった。自分は階段を上《のぼ》りつつ、「あの女」の忍耐と、美しい容貌《ようぼう》
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