て来た事だけは、馬鹿らしいと思った。二人はまた二階を下りた。
やがて細君が帰って来た。細君はお兼《かね》さんと云って、器量《きりょう》はそれほどでもないが、色の白い、皮膚の滑《なめ》らかな、遠見《とおみ》の大変好い女であった。父が勤めていたある官省の属官の娘で、その頃は時々勝手口から頼まれものの仕立物などを持って出入《でいり》をしていた。岡田はまたその時分自分の家の食客《しょっかく》をして、勝手口に近い書生部屋で、勉強もし昼寝《ひるね》もし、時には焼芋《やきいも》なども食った。彼らはかようにして互に顔を知り合ったのである。が、顔を知り合ってから、結婚が成立するまでに、どんな径路《けいろ》を通って来たか自分はよく知らない。岡田は母の遠縁に当る男だけれども、自分の宅《うち》では書生同様にしていたから、下女達は自分や自分の兄には遠慮して云い兼ねる事までも、岡田に対してはつけつけと云って退《の》けた。「岡田さんお兼さんがよろしく」などという言葉は、自分も時々耳にした。けれども岡田はいっこう気にもとめない様子だったから、おおかたただの徒事《いたずら》だろうと思っていた。すると岡田は高商を卒業し
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