男で、言葉遣《ことばづか》いや態度にも容貌《ようぼう》の示すごとく品格があった。三沢は院長に会うと、医学上の知識をまるでもっていない自分たちと同じような質問をしていた。「まだ容易に旅行などはできないでしょうか」「潰瘍《かいよう》になると危険でしょうか」「こうやって思い切って入院した方が、今考えて見るとやっぱり得策だったんでしょうか」などと聞くたびに院長は「ええまあそうです」ぐらいな単簡《たんかん》な返答をした。自分は平生解らない術語を使って、他《ひと》を馬鹿にする彼が、院長の前でこう小さくなるのを滑稽《こっけい》に思った。
 彼の病気は軽いような重いような変なものであった。宅《うち》へ知らせる事は当人が絶対に不承知であった。院長に聞いて見ると、嘔気《はきけ》が来なければ心配するほどの事もあるまいが、それにしてももう少しは食慾が出るはずだと云って、不思議そうに考え込んでいた。自分は去就《きょしゅう》に迷った。
 自分が始めて彼の膳《ぜん》を見たときその上には、生豆腐《なまどうふ》と海苔《のり》と鰹節《かつぶし》の肉汁《ソップ》が載《の》っていた。彼はこれより以上|箸《はし》を着ける事を許
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