その晩の彼に向ってもやはり同じような挨拶《あいさつ》をした。彼はそれをいつもより冷淡なものとして記憶していたのである。
「じゃ君のいう通りにするから、本当に相手を出してくれるかい」
「本当に僕のいう通りにすれば、本当に好いのを出す」
彼は実際心当りがあるような口を利《き》いた。近いうち彼の娶《めと》るべき女からでも聞いたのだろう。
彼はもう大きな黒い眼をもった精神病の御嬢さんについては多くを語らなかった。
「君の未来の細君はやっぱりああいう顔立なんだろう」
「さあどうかな。いずれそのうち引き合わせるから見てくれたまえ」
「結婚式はいつだい」
「ことによると向うの都合で秋まで延ばすかも知れない」
彼は愉快らしかった。彼は来るべき彼の生活に、彼のもっている過去の詩を投げかけていた。
十七
四月はいつの間にか過ぎた。花は上野から向島、それから荒川という順序で、だんだん咲いていってだんだん散ってしまった。自分は一年のうちで人の最も嬉《うれ》しがるこの花の時節を無為《むい》に送った。しかし月が替《かわ》って世の中が青葉で包まれ出してから、ふり返ってやり過ごした春を眺め
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